第二十四話 さらばじゃー!

 排尿口と肛門が分化しているのは、実は哺乳類だけである。
 ではそれ以外の生物はどうなっているかというと、体内では別々だが直腸にあたる総排出腔という器官で一つになって便も尿も同じ箇所から排泄される。更に生殖器官もここに繋がっているため、卵もここを通って産み落とされる。
 何が言いたいかというと、トカゲな俺は自分の性別を知らなかった。正確には知る機会がなかったのだ。
 そういえばあるべきモノがねーなと思いはしたが、そいつを振るうべき相手がメストカゲでは全く使う気になれなかったし、用を足すにも手の届く位置ではないから何時しか気にするのも止めていた。
 つまり何が言いたいかというと、俺は武藤廉太郎という人間だった頃の認識のまま、自分が男であると疑ったことはなかったのだ。

「誰が見たって女の子じゃないの」
「分かるかバカヤロウ」

 何故か呆れた目を向けてくるトリーシャにそう吐き捨て、窓ガラスに映った自分のトカゲ面を見る。
 ……どーやって見分けろっつーんだよ。
 西洋人が東洋人の顔を見分けられないとか、そういうレベルの話じゃない。ライオンみたいに一目で分かる外見的な特徴があるならともかく、動物の雌雄の確認方法って言ったら局部の目視だろ常識的に考えて。
 ついでに言えば俺が産んだ赤ん坊も疑問でいっぱいだ。むしろ疑問しかない。
 当然だが俺にはどこぞの誰かとそういう行為に及んだ記憶は全くない。もしそういう事実があるのならば、その時点で己の性別にも否応なく気付かされるからだ。
 しかも産まれた赤ん坊はヒトだった。
 短く細いながらも羽毛に覆われた尻尾があることから獣人、それも竜人という非常に珍しい種族だそうだが、俺はトカゲだ。尻尾しか共通点がないし羽毛の色は赤みが強く明るい紫で、何よりもトカゲは卵生なのだそうだ。あの時、テレーゼが愕然としたのはそういう理由だ。
 今は布団に包まれてすやすやと眠っているが、いつギャン泣きを始めるか戦々恐々とした時間を過ごしている。親父が何処の誰なのか全く分からないが、この俺が異世界で一児の『母』になるとは誰が想像出来ただろう。


 駅のホームでの公開出産から約一週間。
 列車の旅を終えた俺たちはプリムの実家に身を寄せて、旅の疲れを癒している。
 プリムの実家、サインツ家はアラド=ヴァレン王国内では名の知れた商家らしく、到着した商業都市ベルオーラにとんでもなくでかい豪邸を構えている。その広さたるやマドラの冒険者ギルドすら霞む凄まじさだ。内装や調度品も贅を凝らしており、同様に実家が商家を営んでいるカタリナの背中が衝撃のあまり軽く煤けていた。
 そんな豪邸の一画に賓客扱いで招かれている俺たちだが、当然というか全く落ち着けないし寛げない。極々一部の奴は平然としているのだが、庶民感覚で根っこから形成している者からすると無茶を言うなって話。俺が蹲っている馬鹿でかいクッションも身体が半分近く沈んで包み込むような代物だが、正直寝藁にシーツ被せるだけで十分だ。

「ユカリちゃーん、そろそろご飯の時間ですよ〜」

 開きっ放しにしている扉から明るい声と共に入ってきたのはサインツ夫人、プリムの母親だ。
 四十にまだ届かないその容姿は、年相応の落ち着きを持ちながらも非常に若々しい。娘と同じ栗色の髪を結い上げて慎ましやかな胸元に哺乳瓶を掲げた姿は、産まれたばかりの赤子の母親と言っても誰も疑いはしないだろう。
 その若さを保ち続けるために一体どれほどの努力と資金が注ぎ込まれているのか。彼女を見るテレーゼの視線が若干鋭かった事と、それを受けて夫人が余裕の笑みを浮かべていたのは気付かなかったことにしよう。
 娘には縁ゆかりと名付けた。羽毛の色が鮮やかな紫色なのと仲間をはじめ世話になった人々との縁に因んだ名前だが、漢字が無いので説明しても誰も理解出来なかったのは少々哀しいものがある。

「ブレンダさん、すみません」
「いいのよぅ。私も好きでやってるのだし、レンちゃんは無理しないでしっかり身体を治してちょうだい」

 レンちゃん、と女性というよりも女の子扱いなその呼び方に頬が引き攣るのを止められない。
 そりゃあ十三の娘を持つ夫人に比べれば、子持ちといえど俺もテレーゼも間違いなくお嬢さんだ。
 でも俺にだって一人の社会人として仕事をこなし、仲間と共に幾つもの苦難を乗り越えてきたっていうプライドがある。いつかは見返してやらねばなるまい。
 寝ていたはずの娘は夫人の声に気付いたようで、まだよく見えていない目をぱっちり開いて夫人の姿を探している。まぁ、本当に探しているのは夫人が持ってきた哺乳瓶メシなのだが。
 夫人はベビーベッドから寝かせている娘を抱き上げると、鼻歌交じりに乳首を含ませる。
 本来ならば俺がやらなければならないのだが、出産時の負荷が祟って今では立って歩くのも難しい状態だ。
 トカゲが産む卵の大きさはせいぜい赤ん坊の頭よりも一回り小さい程度しかなく、おまけに表面は産卵時に分泌される粘液を纏っているために割とスムーズに行われるらしい。だから産卵したトカゲはその日の内に快復し、元の生活に戻れるという話だ。
 対してヒトの赤子を胎内で育て、産道から産み落とした身体の負荷は卵とは比べ物にならないほど大きいものだったようだ。
 限界を超えて開いた総排出口はこの一週間で大分癒えたが未だ元に戻っておらず、トカゲ用おむつなどという屈辱的な物を身に着ける羽目になった。母娘しておむつ着用とは、まったくもって遺憾である。
 それ以上に深刻なのが関節へのダメージだ。赤子が産道を通った際に強引に広げた股関節の筋が伸びきり、脱臼したような状態になってしまったのだ。
 産後の肥立ちとでも言うべきか、慢性的に抜けきらなかった疲労感と衰弱具合は徐々にだが回復しているような気がする。
 休んだ程度で解決するような問題ではなかったのは今にして思えば納得のいく話だが、同時に胎の中に子を宿した状態でとんだ無茶を繰り返したもんだと道中を振り返ってなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。場所はともかく、よく無事に産まれてくれたものだ。
 これらが治らなければ旅の再開など出来る筈がない。
 幸い、サインツ家及び使用人や商会の方々は一人娘プリムを無事とは言い難いが救い出して実家へ送り届けた事に恩義を感じてくれており、いつまでも滞在してくれて良いと言ってくれている。療養が必要な俺とカタリナ、手の掛かる赤子の娘にはありがたい話だが、仲間をここに足止めするのは忍びない。

「なぁ、これからどうする?」

 俺がそう尋ねると、トリーシャは溜息をひとつ吐いて考え込む。
 彼女は俺の目的、ヒトの姿を取り戻す事と日本へ帰る事に協力すると言ってくれた。もちろん彼女の目的とも合致した結果なのだが、故に俺がここから動けなくなってしまったのでは話は変わる。
 諦めるつもりは毛頭ないが、旅を再開出来るのがいつになるか分からないのだ。俺の都合で足止めし続けるわけにはいかない。

「そうね……私はテレーゼとラウラを故郷へ送る旅に戻るわ。貴女はカタリナとここで休んでて」
「良いのかよ?」
「良いも悪いもないわ。それにジャネットもいずれこちらへ来るのでしょう? あの子にも心配させているのだから、迎える時はちゃんと元気な姿を見せてやりなさい」

 上品ながら体育会系な空気が拭えない彼女の微笑みに曖昧な笑みで応え、敵わんなと頭を掻く。
 もしかしたら既に自分の中で、こう言えば彼女はこう答えるだろうと予想していたのかもしれない。詰まる所、俺は弱気になって退いた背を押して欲しかっただけなのだろう。

「はい、ごちそうさま。お腹いっぱいになったね〜?」

 空になった哺乳瓶を口から離し、夫人は娘を抱く姿勢を変えて背中をぽんぽんと叩き始める。ほどなく「けぷっ」と小さなげっぷの音が聞こえると夫人は「よくできました」と笑顔で娘と向き合い、娘を俺の傍らに寝かせた。
 娘は俺と同じ金色の瞳をぱっちり開き、母親おれの顔をまじまじと見上げてくる。
 自分を丸呑みに出来そうな巨大な顎を持ったこの姿は恐ろしくないのだろうか、と自分の容姿へのコンプレックスが今更ながらに頭を擡げるが、娘は真っ直ぐに見詰めた視線を外さない。やがてその目もとろん、とまどろみ、すぴー、すぴー、とややマヌケに聞こえる寝息を立て始めた。
 それを見届けた夫人は笑顔で頷き、哺乳瓶を持って部屋を出ていく。

「レン、気分はどう?」

 入れ替わるように部屋にやってきたのはプリムだ。
 バトン型術装器スペルノーツを胸の前に掲げた姿が先ほどやってきた夫人の姿にふと重なり、こういう仕草一つをとっても親子って似るものだなぁ、としみじみ思いながら異世界の昼下がりは静かに過ぎていく。



 静かだったのだ、アレが来るまでは。
 サインツ家が呼んでくれた医師の治療に加え、プリムとラウラが交替でヒーリングを施してくれたおかげで下半身の容態がひとまず落ち着き、おむつが取れてリハビリを開始出来るようになった頃、嵐はやってきた。

「このパスタは変わってるわね。太くてもちもちして、でもしっかりコシがある」
「うどんっていう、俺の故郷の麺です。久しぶりに打ったんで出来はイマイチですけど」
「そうなの? でも、とても美味しいわ」

 ある程度ならば歩けるようになったので厨房の一画を借り、久しぶりにうどんを打ってみた。
 中力粉を探すのは面倒だったのでパン用の強力粉と菓子用の薄力粉を混ぜ合わせたが、やはり出来はイマイチだ。下半身の踏ん張りが足らないので力が込め難かったのも原因の一つだろう。
 出汁は小魚の干物と魚醤で作ってみたが、予定していたものとは全くの別物が出来上がってしまった。
 スープ皿に盛られている料理はうどん麺と共にアサリとエビが魚醤スープに沈んでおり、和なのか洋なのか判別し難い。味付けも試行錯誤の末、苦し紛れに調えたもので洗練とは程遠い出来なのだが、試食に付き合ってくれたサインツ夫人には好評なようだ。

「醤油っていう、大豆から作ったソースがあれば故郷の郷土料理を作るのが楽になるんですけどね」
「大豆のソース? 確か竜人郷で作っているような覚えがあるわ」

 マジすか、醤油があるなら味噌も作ってそうな予感がするな。
 竜人郷って何処よ?

「レ〜ン〜。私の分残ってる〜?」

 のんびり間延びした声がニコニコ笑顔で厨房に入ってくる。
 黙っていればクールな美少女で通りそうな美貌の持ち主なのだが、本人はそんな幻想を維持する気はないらしい。

「何処で聞きつけてきたんだよ?」

 笹の葉のように細長く尖った耳をぴょこぴょこ動かしながらダークエルフ娘は「えへへ」と悪戯っ子のように笑う。
 大方、俺が厨房に入った辺りからずっと目星をつけていたのだろう。
 オリーブオイルを引いたフライパンにアサリとエビを入れて炒め、そこに茹でたうどん麺を入れてさっと絡め、鍋に残っている魚醤スープを注いで暫し煮込む。調理方からしてうどんから遠くかけ離れているが、これでも色々と考えた末に辿り着いた形だ。

「おお〜……このパスタって、ダンゴ?」
「よく分かったな。あれを薄く延ばして細く切ったのがそれだ」

 彼女が言うダンゴとは、旅の道中に俺がよく作っていた練り物の事だ。
 小麦粉と塩と水を使うために荷物は嵩張るが、荷馬車を使えたことが幸いした。保存性の高いパンは堅くて不味いし、オートミールは栄養価は高いがすぐ飽きるって不評だったからな……。
 スパゲッティに比べると二倍以上の太さを持つうどん麺に苦戦しながらも、ラウラはフォークで器用に巻き取りたっぷりスープが絡んだうどんを口に運ぶ。むぐむぐと頬張った麺を咀嚼し、そのもちもちした食感と口の中に広がる海鮮の味わいを楽しんでいるのだろう。アイスブルーの瞳を細め、長い耳は下の方へと垂れていく。そして口の中のものを嚥下すると、「はぁ〜……」と幸せそうな溜息を吐いた。

「あ〜……やっぱりこれってお魚のスープに合うね〜」
「本当はもっとあっさりした味付けなんだけどな」
「そうなの〜? 私はコレ好きだけどな〜、なんだかホッとするよ〜」

 スプーンでスープを掬って啜ると相好を崩してまた溜息。自分的には納得のいかない出来ではあるが、それでも作ったものを食べて喜んでくれるのはやはり嬉しいものだ。

「ユカリちゃんも早く食べれるようになれば良いわねぇ」
「そーっすねぇ……」

 夫人の言葉に曖昧に答えつつ、現状を振り返って気が重くなる。
 自分が産んだ子供とはいえ、己が『母親』という事実を未だに受け入れられないでいる。
 仕方が無いだろう。あんな衝撃的な体験をしても俺の性自認は今でも男のままだし、妊娠していた事に全く気付けなかったのだから尚更だ。
 かといって捨てるか、というとそれも気が引ける。
 母親という自覚は薄いが、自分と臍の緒で繋がっていたのを目の当たりにしているのだ。身に覚えはなくとも自分との血の繋がりは自覚しているし、寝食を共にしておむつの取替えや夜泣きに悩まされ続ければ情は育つ。
 そして何よりも母親になりきれない理由として、俺がトカゲで娘がヒトだという事も非常に大きい。
 母親ならば理由が無い限り、腹を痛めて産んだ子に乳を飲ませるものだ。しかしトカゲの身体には授乳させるべき器官が存在しない。ただでさえ薄い母親の自覚は全く育たない。
 ヒトの姿を取り戻さねばならない理由がまた増えた。
 狼に育てられた人間の少女や、犬に育てられた虎の話は聞いたことはあるが、いざ自分の身に降りかかってみればやはりヒトの姿で育てたい。ヒトの姿に戻れたとしても性別がどうなるのか分からないが、少なくともトカゲのままでいるよりは親の自覚は濃くなると思っている。

「ふーむ、悪くはないが塩辛いし魚ばっかりじゃの〜。妾はもっとまろやかな風味が好みじゃ」

 唐突に間近から発せられた聞き覚えのない少女の声に、思案に沈んでいた意識がふと引き上げられた。
 気付けば目の前に白金色に輝く髪とピンと立った三角の大きな耳があり、太くて立派な毛並みの尻尾が三本ゆらゆらと揺れている。
 サインツ家の縁者だろうか、と夫人へ視線を向けると彼女も突如現れた少女を前にぽかん、と口を開いて固まっている。
 そしてラウラへ視線を向けると彼女も同様にぽかんと口を開いているものの、その目は真ん丸に開いて驚きをこれでもかと表していた。その目は知らないものを見る目ではなく、この少女が彼女の関係者であることを如実に物語っている。
 少女はくるりとこちらへ振り返ると蜂蜜色の大きな瞳を細め、可愛らしくも勝ち気な顔をニンマリと笑みに歪めて見上げてきた。

「そなたが作ったのかや? 良い腕をしておるが、まだまだ粗削りじゃの。調理法に拘る前に、食材をもっと良く知る方が先と心得よ」

 ぐ、痛いところを突いてきやがる……。
 少女の言葉の通り、俺はこの世界の食材について知らない事が多過ぎる。日本に居た頃の味を再現する事に固執しているため、元の世界の食材に似たものを探して近い味を作ろうと無理をしているのは分かっているのだ。
 それはともかく、やけに時代がかった喋り方だがその容姿は非常に若い、というか幼い。多分、プリムとそう変わらない年頃ではなかろうか。しかし笑う際に口元を隠す仕草をはじめ、些細な所作のひとつひとつがたおやかで、指の曲げ方にさえも優雅な薫りが漂う。
 その矮駆に纏うサリーのような装束もまた雅やかで、白のアンダーに淡いオレンジ色の暖かなアウターの色合いが少女の雰囲気にとても合っているように思えた。

「君、誰?」

 そう尋ねるとラウラから奪ったらしい皿から二口目を啜っていた白金色の狐少女は、きょとんとした目でこちらを見上げた。
 もきゅもきゅ咀嚼する可愛らしい姿と対峙すること数秒間、厨房の外が俄に騒がしくなっているのにふと気付く。そちらに意識を向ければ「何処に行った」だとか「そっちは見たか」と怒鳴り合う声がこちらへ近づいているようだ。
 それに反応するように大きな狐耳をピョコンと動かした少女は再びニンマリと、とても楽しげに笑みを浮かべる。

「行方の知れなんだ知己がようやく見つかったと聞いての、取り次ぎを頼んだのじゃが聞き入れて貰えなんだ」

 ああ、それは仕方がない。
 このベルオーラはエスぺリア、特にカタロニア州から近い位置にある。刺客を警戒するのは当然だろう。
 なので名指しで来訪する客に対しては例外なく取り次がないよう、この屋敷の守衛に依頼しているのだ。
 大きな商家の邸宅だけあって、警備はかなり厳重だ。今、ドタドタとそこらを駆け回って怒号を轟かせている警備員たちは、かつて兵士や冒険者を経験している屈強な連中だ。それもここの主人と長年この家に勤めている家宰とが選りすぐった生え抜きだそうな。
 彼らを出し抜いたこの少女は何者か。その推定知己の褐色エルフ娘へ目で問うてみるも、狐少女と俺たちの間に視線を彷徨わせておろおろするばかりで埒が明かない。
 危害を加えるつもりならばとっくにやっているだろうが、それでも無警戒というわけにはいかない。身体を巡るマナの量を増やし、いつでも編み上げられるように心を落ち着ける。
 と、その時、怒号に混じる甲高い泣き声を羽毛に埋もれた耳朶が捉えた。それは怒号よりも早く、こちらへ一直線に近付いてくる。

「レン、ユカリがお腹空いたってお冠だよ」

 しまった……夢中になるあまりミルクの時間を忘れていた。
 聞きようによっては可愛くもあるその泣き声も、今の俺には責めているように聞こえてしまう。

「わ、悪い。今準備する」
「いいよ。あたしが作っとくから、あんたはユカリをあやしてな」

 やってきたテレーゼは俺に娘を抱かせると、さっさと厨房の奥へと入って冷蔵庫からミルクの入った瓶を取り出していた。
 あ、そうそう。この家、つーかこの世界には普通に冷蔵庫がある。他にもあっちで使っていた家電製品と同じような用途を満たす術装器スペルノーツが幾つもあり、マナ供給もインフラが整備されているのだとか。カタリナがあの台詞を吼えたのは当然の流れといえる。

「おおっ? 元気なややじゃの! そなたの子、かや……?」

 ぴょこん、と大きな耳と尻尾を立てて狐少女が大きな関心を示し、腕の中で泣いている娘を覗き込む。が、そこにあるつんつるてんの顔と羽毛に覆われた俺の顔を見比べ、はしゃいでいた声が尻窄みに消え入った。
 きっと彼女の予想では柔らかい毛布に小さな子トカゲが包まれている姿があったはずなのだろう。

「俺の子だよ」
「トカゲと人の合いの子かや? 不思議な事があるものじゃ……」

 飯はまだかと催促し続ける娘の頬を人差し指で突付いたり、指を握らせたりして、狐少女は俺と娘をまじまじと見比べている。
 非常に旺盛な好奇心を持っている事は僅かなやり取りの中で十分分かっていたが、素直な点には好感が持てる。なにせ大抵の奴らは何処ぞで拾ったなどと勝手に解釈してしまい、全く信じる気配がないのだ……信じろって方が無理があるのは百も承知ではあるが。

「で、君は誰なんだ?」
「おお、説明の途中じゃったな。妾はそこにおるヴィスコンティ候の娘御を……」
「居たぞ、厨房だ!」

 ようやく語り始めた狐少女の言葉を野太い男の怒鳴り声が遮る。ふと声の出所、厨房の入り口へと顔を向けると、砂色で統一された警備の制服を着た男が厳つい顔を更に怒らせて立っていた。
 そーいえばユカリの泣き声が間近にあったせいで、警備員たちの事をすっかり忘れていたよ。
 それは狐少女も同様だったらしく、そちらを見て「忘れておったわ」と呟いていた。

「捕まる訳にはいかぬでな。妾はこれにて失礼するぞ」

 狐少女はクルリと身を翻すとステップを踏むような軽やかな足取りで、しかし調理台やチェストの隙間が作る狭い通路をスルスルと駆け抜ける。

「お前らは外に回れ! 絶対に逃がすな!」

 それを追ってドタバタと、しかし屈強さの証といえる体格の良さがここの狭い通路では災いし、警備員らが厨房の半ばまで来た頃には彼女は勝手口を開いていた。そして昼の陽光が燦々と降り注ぐ中に躍り出ると、「さらばじゃー!」の捨て台詞を残して立ち去ってしまった。

「あれ? さっきの子、アンタの知り合いじゃなかったのかい?」
「俺は知らん」

 鍋を火に掛けてミルクを温めているテレーゼにそう答え、ラウラを見る。が、警備員らが駆け抜け開け放ったままの勝手口へ向いたまま心ここに在らずといった感じで呆然としていて、彼女自身も混乱しているようだ。
 翌日、いつの間にか手渡されていたらしいメモに気付いたラウラは慌しく身支度を整え、別れの挨拶もそこそこに屋敷を飛び出して行った。
 何事ものんびりマイペースな彼女らしくない様子に唖然としたその数日後、あの狐少女がサラ・バジャーというふざけてんのか真面目なのかイマイチ分からない名前でギルドに登録している、巷でそこそこ有名なBランクの凄腕冒険者という事実が知らされた。
 (レムリア)へ帰ったと聞いた一週間後にはサラに引っ張り回されているラウラの姿を(ベルオーラ)の冒険者ギルド前で見掛けた辺り、なんだかなぁと思う異世界の秋であった。


初稿 2013.08.09
更新

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