第二十話 王都脱出

「重い」

 そう愚痴ると背に括り着けた鞍に跨がる奴が「あはは……」と誤魔化すように曖昧な笑い声を漏らす。
 でっかい頭から尻尾の先までを真っ黒な布で覆い隠した俺の背にはカタリナが、そして彼女に抱き竦められるようにプリムが座っている。
 一人なら余裕で乗せられるのだが、二人はさすがに辛いものがある。
 この二人が特別重いとか、努力が足りないとか、そういう事ではない。
 それというのも、どうやら俺は他のトカゲに比べて小柄らしく、日中すれ違ったトカゲたちの体格は総じて俺より一回りほど大きかった。どっかの格闘家に言わせれば、あんたには功夫が足りないとか言われそうだが。

「ここを抜けて馬車に乗り込むまでの辛抱だよ」

 そう励ましてくれるテレーゼだけど、この町に着いてから碌に休めていないのが堪えているようで声に張りがない。彼女は隊列の最後尾に付き、後方の警戒に当たってくれている。
 ここは王都の地下に張り巡らされた地下水路。逃走路としてはベタだけど、水の流れる音が足音を消し、人目に着かずに移動できる利点はやはり大きい。
 当然、敵もここを使って逃げるだろうと目星を着けているだろう。しかし現状、捕り物の指揮権はアレサンドロが握っているため、奴らは表立って人員を投入出来ない。自由に動かしても目立たない程度の限られた人員では都市部に地下にと、これほど広大な面積はカバーしきれるものではない、という推測から水路を進むことに決まったのだ。

「臭い……臭すぎる……」
「言わないでよぅ……せっかく考えないようにしてたのに〜」

 俺の前を小走りで進む二人、ジャネットとラウラが口元を覆った黒いマスクの更に上から手で覆い、くぐもった愚痴を零している。
 それも仕方がない。何せ水路は水路でも、ここを流れているのは汚水の方だ。石造りの空間はそれなりに広いが天井は当然閉じており、ヘドロの臭いや何かが腐ったような臭いその他様々なものが混ざり合った臭気が立ち込めている。
 更に俺たちが今進んでいる水路脇に設けられた細い通路や壁にはヌメヌメとした何かがそこかしこにへばりついており、油断すると滑って転びそうになる。その正体が何なのかはあまり考えたくないが、昏い水面から名状しがたいヌメヌメの親玉とか這い出てきたら泣くかもしれん。
 何かの存在をひしひしと伝えてくる水路に転落しないよう覆いを被せて光量を絞ったマナ灯ランタンで足元を確認しながら歩いているが、足場は狭いし俺の脚は太っといしで歩きづらいこと甚だしい。

「つーか足の裏がぐちゃぐちゃドロドロ気色悪いぃぃぃぃッ!」
「ちょっと! 大きな声を出さないでよ!」

 つい口から漏れてしまった嫌悪感が思いの外大音量になってしまい、こちらを振り向いたトリーシャに叱られてしまった。
 口元を布で覆った上でしっかり聞こえるように静かに怒鳴るとか、無駄に高等技術を繰り出しやがる。

「ちぇ〜……お前らはいいよなぁ。靴のお陰で謎のぐぢゃドロに直接触らなくていいんだからさ〜」
「いいワケがないでしょ! ここから抜けたら靴も服も新調しなきゃ……」

 苛立たしげにそう吐き捨て、語尾をゴニョゴニョと口籠ったトリーシャは正面へ向き直った。
 その後もあの男、今度遭ったら問答無用で叩っ斬ってやる、とか、カタロニアのババアはこのドブに投げ入れてやるわ、などと物騒な事を延々と呟いている。
 この状況はよっぽど腹に据えかねているようだ。没落したとはいえ良いところのお嬢様って話だしなぁ。物騒な愚痴には優雅さの欠片も無いが。

「カタリナ、辛くないか?」
「え? うん、痛み止めが効いてるから大丈夫」

 首を後ろへ向けて振り向くと、僅かな光にうっすら浮かんだカタリナはにこりと、しかし力無く微笑んで返した。
 闇に乗じて行動する都合上、マナの光を患部に帯びる|治癒《ヒーリング》は現在行っていない。そのため彼女は湿布薬の上から包帯で軽く胸を絞め、痛み止めを服用している。
 とはいえ本来は安静にせねばならない状態だ。なるべく揺らさないように心掛けてはいるが、この覚束ない足元では限界がある。
 そのカタリナに後ろから抱かれるように跨がっているプリムは、バトンをキュッと握りソワソワしている。ヒーリングを掛けないで良いのかと不安なのだろう。
 泣きそうな顔のプリムの頭をフードの上から撫でながら、カタリナは優しげに微笑んでいる。普段ならば大声で騒いで叱られるのはもっぱらコイツの役割なのだが、調子が狂って仕方がない。

「仲が良いのはいいが、そろそろ静かにしろ」

 そう前方から発せられた男の声に従い、口を閉じて暗い通路を歩く。
 俺たち同様に全身黒尽くめの彼はアレサンドロから付けられた案内役で、暗くて滑る細い通路を危なげなく歩き、俺たちを先導している。
 王都の地下に張り巡らされたこの地下水路はまさに迷路だ。行く先々で折れ曲がり、或いは遮られたりと複雑怪奇な構造が何処までも広がっていた。
 しかしこの男は迷う様子を一切見せずに黙々と進み続けている。仮にこの地下水路の地図が頭に入っていたとしてもこの暗さでは目印も分かり辛いだろうに、そういうものを確認するような仕草もない。ついでに言えば法術を使った様子もない。
 すげーな、教えて貰っても絶対に真似出来そうにねぇ。
 無言でひたすら歩き続けていた時、ふと男は後ろへ手を翳して制止を促した。
 男が立ち止まったのは曲がり角の手前、そこから先を窺うように首を伸ばしていたがすぐにこちらを振り向き「戻れ」と手で促してくる。

「ここはどの辺りだい?」

 来た道を戻ってしばらくした辺りで、テレーゼが抑えた声で男に訪ねた。
 今日始めて訪れたばかりの土地だ。場所を聞いたところでピンとは来ないが、同じような所をぐるぐる回っているようにしか感じられずみんな不安感を募らせているのだろう。

「まだ旧市街の地下だ。さっきの所から新市街側へ出る予定だったが、先を越されていた」

 淡々とした答えだったが、俺たちを包む沈黙は重い枷となって足の運びを鈍らせる。
 やはり敵の方が一枚も二枚も上手か。ここから脱出する事など可能なのか。
 ネガティブな思考を追い払おうにも、ここに至るまでに蓄積した疲労と困惑、そして何よりもこの暗闇に身を置いている境遇が拍車を掛けて悲観に傾くのを止められない。

「いっその事、あいつらを斬り倒せば……」
「止めておけ。奴らは常に連絡を取り合っているだろう。その連絡が途切れれば我らの位置も狙いも露見する」

 腰に挿した剣をカチャリと鳴らしたトリーシャをすぐさま背後に付いている男が制止する。

「他にルートはあるの?」

 剣の柄から手を離したトリーシャは苛立ちをそのまま乗せた口調を問い質す。
 と、黒い頭巾に覆われた頭を小さく、しかし何処か自信を感じさせるようにしっかりと頷いて返した。

「先に偵察を行った際に敵の配置は確認しているが、それが現在も変わっていない事を確認した」

 男の話では旧市街側から新市街側の水路へ通じる箇所に三人ずつ配置されているという。
 人目に付かない地下なら人員の投入に躊躇が無いのはあちらも同じだが、入り組みが激しすぎて限られた人員でローラー作戦を行うには不向きなのだ。
 動員されている人員というのはカタロニア州候をはじめ、陰謀に加担した諸侯らの私兵だという。
 今、地上では近衛騎士主導の下で多くの兵士たちが作戦行動中だ。そんな中で彼らが思惑を持って動いているのが露見すれば、どんな嫌疑が掛けられるか分からない。
 なのでそれぞれの屋敷に屯する私兵の数を減らしすぎる訳にもいかず、現状は半端な人数しか注ぎ込めないのだそうだ。

「目立った動きが無い事から見て、奴らの狙いは時間稼ぎ。君らをこの王都に閉じ込めている間に外堀を埋め、追い込んで捕縛する運びだろう」
「じゃあ何でわざわざ私たちをあそこまで連れて行ったの〜?」
「居なくなっていればそのまま通り抜けようと思ったのだが、それは虫が良すぎたようだ」

 ふ、と軽く笑っているが俺たちにしてみれば笑い事ではない。下手を打って見つかってしまえば元も子もないではないか。
 胡乱げな視線が集まると男もさすがに居心地が悪いようで、軽く咳払いをすると先へ進むように促し、丁字路を利用して隊列の前後を入れ替えると先導を再開する。
 それから再び入り組んだ迷路を黙々と歩く。ただ先程と違い、どれだけ曲がりくねろうと進む方角は同じ方へ向いているような気がした。
 進んでいくと、ふとした辺りから水の流れる音が大きく、激しくなった気がした。それは一区画越える毎に大きくなり、気のせいではないと認識する。

「着いたぞ」

 そう告げられたが、俺たちは咄嗟に言葉を返すことも出来ずただ唖然と立ち尽くした。
 そこには何も無かった。
 ただ大量の水が何処かへ流れ落ちる音だけが、真っ暗な空間に反響して埋め尽くしていたのだ。

「いや、着いたって言われても……何も無いんだけど?」

 ようやくといった感じで絞り出されたジャネットの困惑した言葉に、男は当然のように「何も無いな」と頷く。
 やっぱり何も無いのか。俺、鳥目だから実は対岸の壁に何かあるのかと思ったんだけど、見間違いじゃないんだなー。よかったよかった――じゃねぇよ。

「どーすんだよ。ここまで来て脱出路が無いじゃ話になんねーだろ。さっさとプランBで行こうぜ、あるんだろ?」
「ん? 無いぞ、そんなもの」

 …………ナイスジョークだ、脱力のあまり顎がカックンと大きく開いて元に戻らんぜクソッタレッ!
 この男は何のためにここまで連れてきたのだろう。
 今更ながらに沸き上がった疑念に最早、迂闊だ何だと考えるだけの気力も残っていない。

「あたしらにはもう、このドブ水に身を投げる以外に未来は無いってことなのかねぇ……」
「その通りだ」

 遠い目でここではない何処かを眺めて諦観を漏らしたテレーゼだったが、男の言葉に反応してバネで弾かれたようにそちらへ振り向いた。
 テレーゼだけではなく俺たち全員、我が耳を疑い信じられないものを見る目で彼へ視線を注いでいるのだが、全く動じた様子はない。トリーシャなど佩剣に手を掛けて身の凍るような鋭い殺気まで放っているというのに、むしろ楽しげですらあるように見える。

「ここは地下水路の終着点の一つだ。運河から引き込まれた水は街から出た廃水を運び、ここの壁に作られた排水口から城壁を抜けて再び運河へと排出している」

 男の声は抑揚があまり無いのだが、そこに籠る感情は何故かハッキリと伝わってくる。まるでドッキリの種明かしをする仕掛人のような底意地の悪さとでも言おうか、口角をニンマリ歪めて浮かべる愉悦の表情も黒い頭巾で隠されている筈なのにありありと分かってしまうのだ。

「さて、贅沢にも呆けていられる程に時は潤沢ではない。決断すべき時に決められぬ者はただ無為に失い、その手に何も掴めん」

 淡々と危機感を煽る様はまさに外道!
 しかし目の前の逼迫した現実が俺たちを更に追い込み、戦慄に震え上がらせて突っ込む意気すら打ち砕く。

「ほ……本当にここから外へ出られるの?」
「嘘を吐いてどうなる」

 俺の頭越しに震える声で尋ねるプリムにも、男は変わらず単調に答えた。
 手に持ったランタンを水路に翳して覆いを外してみると、真っ暗だった空間が仄かな金色に照らされて薄っすらぼんやりとその全容を浮かび上がらせる……が、やや広めの溜池っぽい空間が現れた以外はネバネバヌメヌメしてそうな正体不明の緑色がそこかしこにへばりついた石壁に囲まれており、他の所と比べてもさほど代わり映えのしない光景だ。
 しかし溜池には流れを示す細波があり、それを追って視線を向ければ水面より僅か上辺りに切り欠きのような空間が石壁にぽっかり開いているように見える。その先は真っ暗で中がどうなっているのかはここからでは全く見通せない。

「他に道は無いんだね?」
「無い訳ではない。リスクがここを潜り抜けるよりも遥かに高いというだけだ」
「そうかい……じゃあ腹を括るしかないね!」

 パンッ! と掌に拳を打ち付けたテレーゼはいつぞやに見せた不敵な笑みを浮かべて俺たちそれぞれに視線を配っていく。声色も凛として良く通り、滑り落ちていく水音にも些かも遮られず耳に届いた。

「今までだって散々、無茶を通してきたんだ。今更この程度、どうってこたぁないさ。そうだろ?」

 その言葉に根拠など全く無い。
 しかし彼女の屈託の無い笑顔を向けられると、それまで心を雁字搦めに締め付けていたものがほろりほろりと解け落ちていくような、不思議な安心感を覚えるのだ。

「そうよね。思い返せば最初っから無茶苦茶ばっかりやってきたんだし、確かに今更だわ」

 テレーゼの発破にクスリと笑みを零したトリーシャが呆れたような声で返す。
 言われてみればその通り、出会いからして絶体絶命の危機からスタートだったんだよなぁ。俺なんてトリーシャに拾われなきゃ戻ってきた野盗に殺されてたか、荒野で干からびてるかのどっちかの運命しかなかったんだ。
 ラウラとジャネットを見れば方や曖昧な笑みを、方や苦々しげに眉を顰め、背へと首を向ければ困ったような笑みと複雑そうに沈んだ表情があった。胸に去来したものはそれぞれ異なるようだが、共に過ごした日々の苦楽とそれを乗り越えた経験は紛れもない事実だ。

「あたしはカタリナを抱えて潜るから、トリーシャはラウラを頼むよ。レンはちょっと辛いかもしれないけど、ジャネットとプリムをお願いね」
「分かったわ」
「お、おう」

 狭い足場に腰を下ろすとテレーゼはカタリナを軽々と、だが怪我に障らぬよう慎重に抱きかかえる。
 そしてプリムを降ろして前から抱き付かせ、背の鞍にはジャネットがヒョイと身軽に飛び乗った。

「さあ行くよ! あたしらの諦めの悪さは筋金入りだって、思い知らせてやろうじゃないか!」

 そう快活に宣言するや、テレーゼはカタリナを抱えて溜池に飛び込んだ。
 飛び出した際に一瞬見えてしまったカタリナの引き攣った顔が非常に印象的で、気の毒としか言いようが無い。
 しかし彼女を哀れんでばかりもいられない。俺もこの黒い水面へダイブせねばならんのだから。

「先に行くわよ」

 生唾を飲み下している間にラウラと腰紐を結わえて繋いだトリーシャが、これまたラウラの腰をガッチリ掴んで溜池へ飛び込んでいく。
 一瞬、「ひぃっ!」と短い悲鳴が聞こえたが、水柱と共に消えてしまった。
 残るは俺の番だが、ぶっちゃけ怖えぇ! 死ぬほど怖えぇ!
 前からはプリムが、背中からはジャネットが太い首にしがみ付いており、二人の不安げな表情が蚤の心臓を激しく締め付ける。俺一人だけでも躊躇が大きいのに、加えて二人の命運も抱えるとか余裕で許容量オーバーだよ!
 しかし四人は既に行ってしまった。逝っていない事を祈るばかりだが、祈ってばかりもいられない。最早、後戻りなど到底出来る状況ではないのだ。
 そう自分に言い聞かせてもこの一歩を踏み出せない。

「行かんのか?」

 通路に佇んで溜池を眺める男が、相変わらず抑揚の無い声で聞いてくる。
 行くに決まってんだろ! と強気に返したいのに、震えて引き攣る喉は思い通りに声を出してくれない。
 プリムの背中を抱いた掌の強張りを解そうとしても、それすら満足にこなせない。
 心臓がどっくんどっくん、と激しく脈打つ音が頭蓋の内側に反響して頭痛すら覚える。
 馬にも負けない自慢の脚は完全に竦んでしまい、今では膝がガタガタと震えてしまっている。
 怖えぇ……怖えぇよ! でもあそこから脱出しなければ、俺たちに明日は無い。
 ヒトと比べるべくも無い大きな顎をギリリと噛み締め、薄っすら見える排水口を睨み付けた。
 覚悟を決めろ廉太郎! テレーゼとトリーシャは踏み出したんだ。唯一の男である俺がここでヘタレてどうするか!
 などと心の内側で激しい葛藤を繰り広げている俺の視界の隅っこで、大きな何かがゆらりと動いた気がした。
 そこは俺たちが先程通ってきたルートの曲がり角。そちらへ視線を移していない故にはっきりとは見えないが、どろどろとした不定形の何かが蠢いているような気がしたのだ。まさかアレは――――ッ!?

「ノォォォォオオオオオオッ!! 親玉!? 親玉イヤァァァァッ!?」

 それまで全く思い通りにならなかった喉笛から甲高い悲鳴が迸り、水音すらも貫いて地下水路に反響する。
 心と身体を縛り付けていた恐怖は後から来た別の恐怖によっていとも簡単に塗り潰され、それから逃れるべく脚は勝手に前へと跳躍した。即ち、真っ黒な水面へとだ。
 突然の絶叫に虚を突かれた二人だったが、目下に水面が見えた事で自分がどういう状況に置かれているのか反射的に理解したらしい。思いっきり空気を吸い込むと息を止め、入水の衝撃に備えるべく首に掴まる力がギュッと強くなる。
 二人が前後からしがみ付いた事で首が絞まってしまい、おかげで我に返ったがもう遅い。中々の跳躍だが所詮はジャンプ、コンマ一秒と掛からず俺たちは真っ暗な水中へとダイブした。
 暗い水面を上から見るだけでは分かり辛かったが、溜池は深く流れは意外に速い。
 前からしがみ付いているプリムの背に回した左腕に篭める力を強め、逸れてしまわないようにしっかりと抱きしめる。
 ジャネットは鐙に足をしっかり固定させた上で首にしがみ付いているので大丈夫と思いたいが、いざとなれば自由にしている右腕で抱きかかえる必要があるかもしれない。
 脚と尻尾を駆使して流水の中で姿勢を制御し、沈んだ身体を水面へと浮上させる。太くて長い尻尾は普段はスペースを食いまくるのが悩みのタネだが、こういう時は便利だ。

「ぶはっ」
「ぷはぁーっ」
「べふぉっ、ぺっ」

 水面から顔を出した瞬間、三つの声が重なって吐き出された。
 沈んでいる間に押し流され、既に排水口の向こう側へ入っているようだ。手首に括りつけておいたマナ灯ランタンを持ち上げてみると天井は非常に低く、頭を出すだけでも精一杯なくらい。浮き沈みの加減で頭をぶつけてしまいそうだ。
 さらにこの排水路は急な傾斜が付けられており、転がり落ちるような結構な速度で滑り落ちている。これでカーブなんかが設けられていたらちょっとしたアトラクションだが、楽しむ余裕なんざある筈がない。どれくらい長いのか聞いていなかったが、今は水流に呑まれて揉みくちゃにされないよう尻尾と脚で姿勢を維持するのに精一杯だ。
 そして終わりは唐突というか、やはりそれほど掛からずに訪れた。
 真っ暗な排水路の先に仄かに浮かんだ明かりとも呼べないそれ。そこへ吸い込まれるように流されたと思ったら次の瞬間、放り出される浮遊感が全身を包んだ。
 目の前には聳え立つ石壁、眼下には暗い水路。浮遊感は一瞬の後に落下感へ転じ、俺たちは否応もなく水路へ落下し水柱を立てる。
 高さはそれほどではなかった、恐らく二メートル 程度だっただろう。それでもなんの準備もなく叩き込まれれば混乱もする。
 水面に叩き付けられた瞬間、意識が飛んだような気がした。それでも腕の中のプリムと首にしがみついたジャネットの存在が意識を繋ぎ、心身を奮い立たせ、沈んだ身体を浮上させた。

「ぶふぁぁぁぁーー! うぇっほ……っ! お、お前ら、無事か!?」

 水面から顔を突き出し、プリムとジャネットの顔を水面から出させてから思いっきり息を吐き出す。
 きっと辺り一帯、酷い臭いが立ち込めているに違いないが、今はそれに構っていられない。

「死ぬかと思った……」
「うー……あー……」

 背にはジャネットがぐったりと凭れ掛かり、抱き上げたプリムは今にも力尽きそうに虚脱している。結構怪しいが意識はあるようなのでひとまず肩を撫で下ろし、首を巡らせて辺りの様子を窺う。
 夜空には星が瞬いているが、高い石壁に挟まれたこの水路には月明かりが届かずかなり暗い。見上げれば俺たちが出てきた排水口が城壁にぽっかり大きな穴を開け、そこから大量の水が轟音を上げて流れ落ちているのが見えた。
 それに向かい合って聳える石壁も城壁らしく、この水路と併せて濠として機能しているようだ。
 つまりこれも何とかして突破しなきゃならんということか、面倒臭すぎる。

「レン、無事かい?」

 闇夜とほぼ同化してシルエットしか見えない城壁の上を眺めていると、テレーゼが泳いで近寄ってきた。
 カタリナは体力を大分消耗しているようだが、なんとか意識はあるようだ。

「なんとかな。トリーシャたちは?」
「こっちも無事よ。でも参ったわね、濠になっているなんて聞いてないわ」

 テレーゼの後から泳いできたトリーシャは、ぐったりと力を失っているラウラを背負っていた。不安になって呼び掛けてみると顔は伏せたまま手を上げたので、一応意識ははっきりしているらしい。

「ああ、俺も言った覚えはない」

 背後から聞こえたのはあの男の声だ。
 それが聞こえた瞬間、トリーシャの眼がギンッ! と射殺さんばかりに鋭利な殺気を放つ。

「他の街と違い、ここは王都だ。外の護りが壁一つな訳が無かろう」

 言われてみればなるほど、合点がいく話だ。街に入る時に通った城門からは水路の存在は分からなかったが、回廊が異様に長かった事を思い返すとなるほどそういう構造だったのか。
 しかしそれはそれ、これはこれだ。
 出口が水面よりも高い位置に設置されている事もそうだが、何故事前に説明しておかないのか。
 この男、どう考えても俺たちをおちょくって遊んでいるとしか思えない。

「流れに沿って進めば運河に出る排水口に辿り着ける、急ぐぞ」

 俺たちが発するピリピリとした空気を全く意に介さず、至ってマイペースに事を進める男は先程同様に先導して泳いでいく。
 こいつの案内に従って本当に大丈夫なのだろうか……。
 雪ダルマ式に積まれていく不信感で胸の内に重みを覚えつつ、結局は彼を追う以外に取れる手が無い現状に激しく嘆息するのだった。


初稿 2013.06.30
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