第十八話 袋のネズミ 2

 この僅かな時間であっという間に形勢を押し戻してしまった手際に、俺もラウラも唖然としてしまう。
 牛人族(ミノタウロス)の怪力が凄まじい事は旅を共にする中で知ったし何度も世話になったが、こんなに戦えるとは思っていなかった。つーか攫われるまで普通の主婦だって言ってたよな、農家の。よく攫えたな誘拐犯……どう考えても俺より強いじゃねーか。
 なんだか急に自分が情けなく思えてしまったが、まだ状況は打破出来た訳ではないと気を引き締める。
 片側の甲冑と兵士は全て倒れて行動不能になったようだが、もう片方の兵士たち十数名は依然健在だ。多勢に無勢は変わらないし、もう油断もしないだろう。言葉は発しないがマスクから覗く眼光は鋭く、仲間を倒したテレーゼや動けない俺たちへと強い感情をぶつけてくる。
 そんな兵士たちを前にテレーゼは甲冑に食い込んだ斧槍を引き抜くと肩に担ぎ、その背を踏み越え悠然と歩いて俺の横で立ち止まった。その表情たるや包み込まれるような柔らかな微笑を絶やさない普段の顔とは打って変わって、まるで跪く男たちの様をつまらなそうに上から見下ろしているような傲岸不遜なもの。こう下から見上げているのもあるかもしれないけれど、若干垂れ気味の優しい瞳が怜悧な光を宿したその姿が踏みにじられたような錯覚を覚えて何故か恍惚としてしまった。なんというかその、腹の奥がズクンとクるっていうか……ナニカに目覚めそうだ。
 ……ぬ? 兵士たちの中にも挙動がおかしいヤツがちらほら居るような。特に真ん中の奴の動揺が顕著に見える。腰が引けて槍が小刻みに震えていて、マスクから露出した目が食い付くように見開いていて、何となくキモい。

「退路は拓いたよ」

 囁くような小声で告げてくるテレーゼ。その声には表情ほどの余裕は窺えず、濃い疲労感が多分に含まれていた。
 このハッタリもいつまで通じるか分からない。逃げるなら今しかない、が……。

「猫耳女を見失った」

 俺の言葉の意味を理解したテレーゼは小さく舌を打つ。
 炎弾を撃った建物の影にその姿は既にない。
 何処へ姿を眩ませたのかは分からないが、逃げてはいないただろう。あいつの思考は全く理解できないが、あの妄執ぶりからしてそう簡単に諦めるとは思えないのだ。
 ラウラのサポートが無ければ、テレーゼは奴に太刀打ち出来ない。かと言って二人を残して俺がカタリナとプリムをどうにかこうにか運んだところで、奴に追い掛けられれば逃げきれないだろう。

「あたしがプリムを担ぐから、あんたはカタリナを頼むよ」
「え? お前がカタリナを運ぶんじゃねーのかよ?」
ポールアックス(コレ)を捨てていくわけにはいかないだろ」

 ああ、言われてみれば当然だった。

「防御はラウラのシールドだけが頼りだよ、気張んな」
「あわわわ……」

 なんかもう完全に腹を括ってしまったらしく、テレーゼは小さな溜息と共に薄らと笑みを浮かべる。
 それが兵士たちの目には酷薄な凶笑にでも映ったのか更に警戒感を強め、約一名は何故か内股になって身悶えていた。

「じゃあ行くよ!」

 一声叫んだテレーゼは石畳に寝かせたプリムを片腕で抱え上げると、踵を返して一目散に駆け出した。
 それに続いて俺もカタリナを両腕で抱え上げて走り、ラウラも並走して走りだす。

「あぐっ……はふっ……」

 姿勢的にキツイのだろう。首の後ろと膝の下に腕を通して抱き上げた、いわゆるお姫様だっこで運ばれるカタリナが苦しそうに呻いている。
 どれだけ効果があるのか分からないが治癒(ヒーリング)は未だに維持し続けており、その上全力疾走は正直なところ厳しいなんてモンじゃない。本来ならば馬とも張り合える脚力も、今じゃラウラと殆ど同じ速度しか出せないのだ。
 背後からは無言ながらも明らかに熱り立っている兵士たちが追い掛けてきている。奴らも重い装備を身に付けているために大した速度は出せないようだが、鍛え方が違う。体力勝負ではどう考えても部が悪い。

「ひぃっ! もぉいやぁ〜〜っ」

 そしてラウラが後方に張ったシールドに、他にも狙いが逸れた炎弾がすぐ側の路地に着弾して爆発を起こす。
 やっぱり狙ってきやがった。斜め上から撃ち下ろしてきているみたいだから、あの猫耳女は建物の上に居るようだ。

「お前ら、俺たちじゃなくてあいつを捕まえろよ!」

 追ってくる兵士たちへ向けて叫んでみたけど、聞く耳を持たんと言わんばかりの眼力で一斉に睨まれた。
 犯人の捕縛が目的じゃないのは分かったけれど、じゃあこいつらの目的っていったい何なんだ? 猫耳女の思考と同じくらいに分からん。
 街灯が薄ぼんやりと照らす無人の路地をひたすら走る。
 走って走って、走る俺たちを爆炎と轟音と、たまに巻き込まれて脱落する兵士の悲鳴が追う。
 まずは人通りの多い場所まで出るのが先決だ。人混みに紛れてしまえば容易に探し出せなくなるだろうし、いくらあの馬鹿といえど大勢の人々の前に姿を晒す危険を犯してまで攻撃を仕掛けはしないだろう。……しないといいなぁ。
 そんなプランとも呼べない願望を思い描く俺の視線の先に、思い付く中でも最悪の状況が見えてしまった。
 路地の終着点は新旧市街を隔てる城壁とそれが作る丁字路。その城壁を武装した兵士たちが隊列を組み、行く手を遮るように立ちはだかっている。
 兵士たちの隊列の後ろにはさっきの大甲冑が二体、そして隊列の中央で仁王立ちしているのは鏡のように磨き上げられた銀の鎧を着込んでいる伊達男だ。ついさっき演説かまして行方知れずになったアレで間違いない。
 あれを突破するのは無理だ。追ってきた連中を迎え撃つ方がまだ切り抜けられる可能性があるだろう。
 駆ける足から力が抜け、速度が緩んでついに立ち止まってしまう。
 もう何も考える気力が湧かない。荒くなった呼吸を整える事もせず、疲労と乳酸で重くなった身体を棒立ちにしてきれいに並んだ兵士たちをただ呆然と眺めている。
 他の二人も同じなのか、疲れ以外を表情にすら現さず無言で荒い息を吐き続けている。
 背後から追ってきていた武具が立てるガチャガチャという音もすぐ近くで止まった。わざわざ後ろを振り向かずとも、逃げられる余地は無いだろう事は分かる。
 中央の伊達男が悠然とこちらへ歩いてくる。
 そして彼と歩調を合わせるように後ろの隊列も前へ押し出てくる。よく見れば彼らは後ろの連中と違ってマスクを着けていないが、どうでもいいか。

「貴様らァ! 誰の命で動いておるか!?」

 目前に迫り来る奴らを何処か他人事のように眺めていると、男の怒号がほの暗い路地を突き抜けた。
 そういえばさっきの演説で『我が指揮下に入った』とか言ってたっけな。
 近付いてきた伊達男、アレサンドロはその端正な顔を不機嫌に顰め俺たちを、いや、その後ろを睨み付けている……んん? 後ろっつーと……。
 首を少しだけ動かして背後を伺うと、兵士たちは槍の穂先をこちらへ突き付けているが、ピタリと動かない槍とは対照的に目は落ち着きなく泳ぎ、フラついている。
 アレサンドロは俺たちの横を通り過ぎたところで足を止め、槍を向けている兵士たちを睨みつけている。
 その全身から迸るように発せられる怒気に気圧されたように、兵士たちは槍を下げぬまでもじり、じり、と後退さる。
 話が見えない。
 そもそもの話として、この国の兵隊が町にやって来たばかりの冒険者を襲う理由も分からん。そして何故彼らは下手人を無視して俺たちを襲い、追い詰めた状態で留めていたのだろう。
 前進してきた兵士の隊列が俺たちを飲み込むように囲む。疲れ果てて最早抵抗も逃げる気力も失ってしまった俺たちはなされるがままだったが、どういう訳か彼らの扱いは丁寧だ。

「担架を持って来い! 怪我人が居る!」

 俺が抱えたカタリナを覗き込んだ兵士が振り返り、後方に待機しているらしい他の兵士へ大声で呼びかけた。
 そちらを見れば慌しく駆け寄ってくる兵士が二人、ポールらしき物を抱えてこっちへ走ってくるのが見える。

「どうなってんだ……?」

 呆然と呟いた俺に、近くに居た兵士が苦笑を浮かべて何かを喋ろうとした――――が、彼は突如轟いた爆発音と共に後ろから飛んできた別の兵士の身体に押されて石畳に倒れこんでしまった。
 今のは……!?
 ワケの分からない事態の連続で停止し掛けていた危機感が蘇り、兵士が押し出されてきた方へと首を向ける。と、そこには頭部の殆どを失い、残った部分が焼け焦げた兵士が同僚たちに凭れ掛るように無残な姿で事切れていた。

「何処からの攻撃だ!?」
「上だ! 屋根の上に隠れている奴が居る!」

 兵士たちが騒ぎ始め、その内の一人が建物の屋根に潜んだあの猫耳女を見つけたようだ。
 それにまるで返答するように高い建物の天辺から巨大な火の玉が二つ、俺たちを目掛けて撃ち下ろされる。咄嗟に逃げようと脚が動くが、囲まれている現状では逃げる場所が無い!

「シールド、リリース!」
「はぁぁぁぁぁぁあッ!」

 ラウラの声に重なってとても聞き覚えのある気合の篭った声が周囲の喧騒を切り裂く。そして炎弾の一つは青白い光の円盾に防がれ、もう一つは横合いから飛んできた真空刃によって真っ二つに切り裂かれて破裂し、兵士たちの頭上に紅蓮の炎を撒き散らした。

「ごめん、遅れたわ! みんな無事!?」
「トリーシャ!」

 隊列の外に仄かな街灯の光の下でさえも煌めくような輝きを放つ黄金の姫カットが垣間見え、安堵とも歓喜ともとれる感情がその名を叫ばせた。
 呼ばれた彼女は若干恥ずかしそうに頬を軽く引き攣らせつつも、兵士たちの中から仲間たちの姿を見つけて満足そうに頷く。しかし俺が抱えているカタリナの姿を見付けると、その強気な表情を僅かに曇らせた。

「詳しい話は後ね、今はみんなを安全な所へ移動させるのが先よ」
「ああ、そうだな」

 トリーシャの言葉に頷き、炎弾が飛んできた屋根を見上げる。建物には兵士たちが何人も突入しており、奴を追い詰めるのも時間の問題だろう。

「ジャネット、聞いた通りよ。あなたはラウラと一緒に法術の警戒を」
「わ、分かった」

 そう答えた猫耳娘は見たところ怪我一つしていないようで、両手で握り締めている短剣を胸元に掲げてコクコク頷いている。……半年前はそう思えなかったけど、今見比べたら案外と似ているな。あの時と違って小綺麗にしているからか、それともアイツも女の格好をしているからか――って!?

「ジャネット! トリーシャ! 後ろッ!!」

 言うが早いか、いち早く気付いたテレーゼが二人の背後に立つ女へ片手で握ったポールアックスで突き込んだ。
 それを当然のようにヒラリと、ただし今までのバタバタと慌ただしく無様な拙さなど微塵も感じさせない自然な身のこなしで躱し、とん、と軽いステップを踏んで距離を取る。
 その間にトリーシャたちも距離を置いてそれぞれの武器を構えたのだが、ジャネットと猫耳女の様子がおかしい。
 ジャネットは目を見開き顎を落とし、信じられないものを見たような驚愕の表情を浮かべている。
 それに対して猫耳女は、何故か苦しげに顔を歪ませて額に脂汗を浮かべていた。

「知り合い?」
「え? いや、あの……」

 トリーシャに尋ねられてしどろもどろになるジャネットだが猫耳女から目を逸らすことはなく、「そんなはずは……」などとブツブツ呟いている。

「じゃあ、知っている誰かに似ているとか?」

 今度は俺が問い掛けてみると、ジャネットはハッとなった顔でこちら振り向き、再び猫耳女へ視線を向けた。

「兄貴に……」
「兄? アイツはどう見ても女だぞ?」
「女装かもしれないわよ」
「や、よく見たら全然似てないっていうか、こんな美人じゃないんだけど……」

 そう否定的な言葉を口にしながらも、ジャネットは結論付けられずに「でも」などと口の中で篭らせる。
 猫耳女はと言えば片手で顔を覆って俯いており、何やら苦しげに唸っている様子。

「お兄さんの名前は?」
「え? ……レオン」

 ジャネットがそう答えた瞬間、猫耳女の方からギリギリッ、と強く軋む音が鳴った。見れば今にも膝を地に突いて蹲りそうなくらい腰を折っているのだが、何とか持ち堪えている感じ。
 何がそんなに苦しいのか……ああ、頭の中で何かが呟いているとか何とか言ってたっけ。うわ言みたいにブツブツ呟いているのに聞き耳を立ててみると、「私はそんな名前じゃない」とか「うるさいうるさい、黙れ黙れ」とか、「私はマエダアサカだ」とか繰り返している。
 うん? マエダアサカ? マエダって――――前田!?

「お前、日本人か!?」

 思わず大声で問い掛けてしまったが、周囲の状況とか一切合切が頭からふっ飛んで意識が一つのことに囚われてしまった。
 そいつはどう見ても日本人の容姿からはかけ離れているが、もはや人間ですらない俺という存在からすれば灰色の体毛や猫耳、尻尾なんて些細な誤差だ。何故ここに居るのか、という疑問も俺自身の体験を思い返せば答えは出る。

「そう、だよ…………って、まさかアンタも!?」

 苦悶に塗れた顔を僅かに上げた猫耳女、前田アサカもまた驚愕に目を丸くした。そしてまるで泣きそうな笑みを浮かべ、目尻から涙が一筋伝い落ちていく。その唇が力なく何かを呟いたが、声に出ていなかったために何と言ったのかは分からない。
 しかし同郷の邂逅に浸っていられる状況ではなかった。
 俺の素っ頓狂な声で呆気に取られていた周囲が我に返り、前田の捕縛に動き始める。

「ちっ……今日はもう諦めるしかないか」

 アイツは確かにそう呟いた。そして次の瞬間、前田を中心に炎が渦を巻き、炎は瞬く間に膨れ上がって紅蓮の嵐が巻き起こる。

「今度、ゆっくり話そ。その時まで元気でね」

 路地を埋め尽くす勢いで膨れ上がる火炎に圧倒されていると、耳元の羽毛をフワリと何かが撫でていくような感覚を覚えた。
 それがアイツの手だと気付いた時には既に遅く、膨張した火炎が弾けて火の粉を辺りに降らせる頃にはその姿は何処にもなかった。


初稿 2013.06.15
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