第十七話 袋のネズミ 1

「カタリナ、おい、しっかりしろ」

 あちこちをぶつけて悲鳴を上げる身体を引き摺り、横たわったカタリナの顔を覗き込む。
 いつもトリーシャに負けず劣らずの強気な瞳が今は虚ろに虚空を見詰め、血色の良かった肌は石膏彫刻のように青褪めてしまっている。
 着込んでいる革鎧は貼り付けられた金属板がへしゃげ、或いは剥がれ落ち、固定するベルトは千切れてしまって酷い有り様だ。対して額当てや肘当て、膝当てといった補助的な防具は比較的軽傷のようで、手足が歪な方向へ曲がっているような事態は起こっていない。
 何処かに外傷を負って出血しているような様子はない。とすれば強い衝撃で身体の内部に大きなダメージを受けたということだろう。どこをやられた……血を吐いて呼吸が浅い、てことは胸か? それとも別の内臓か? 何れにせよ、こんな路地でどうこう出来る状態じゃない。早いところ然るべき処置を施さねば、それを受けさせる事が可能な場所へ移動させねばならない。
 たが、それをこの状況は許してくれるか……。
 顔を上げ、路地に佇む巨大な甲冑と此方へ槍を向けて駆け寄ってくる兵士たちをギロッと目に力を籠めて睨み付ける。
 何故こいつらが、この国の軍が俺たちを攻撃してきたのだ? あの猫耳女と一緒に葬り去ろうとした? 何の為に?

「……っく、何だってんだい。まったく……」
「いっ……たぁい……もう、なんなのよぉ」

 周囲でもぞもぞと緩慢な動きで起き上がった二人の存在に思考は中断し、思わずホッと安堵する。
 そして此方へ駆け寄る兵士に気付いたらしくテレーゼはバネを利かせて飛び起き、ラウラも咄嗟に防護膜(プロテクション)でテレーゼを覆った。

「どういうつもりか、聞かせて貰おうかい?」

 ポールアックスを上段に構えて迎え撃つ体制を取ったテレーゼを前に、兵士たちは囲むように位置を取って槍を突き付ける。
 全身を覆うような重装備でないとはいえ、鉄兜の内に顔面を覆うマスクまで着用している姿は不気味なものだ。おまけに誰一人として声を出さずに粛々と行動するその有り様にも何処か違和感を覚える。
 それが何なのかは経験か知識か、はたまたその両方が不足しているために思い至ることが出来ない。だが肌で感じて分かることは、まずこの兵士たちは今まで出会った人々の誰よりも怖い(・・)ということ。そしてこの殺伐とした世界においても、普通に生きていていれば関わることはないだろう人種、ということだ。
 じり、じり、と焦らすように間合いを詰めてくるのはどういうつもりだろう。如何にテレーゼの豪腕が凄まじかろうと、後方に控えたあの甲冑が砲撃を行えばこちらに防ぐ手立てはない。
 まさか女を追い詰めて甚振るのを楽しんでいる、なんてことはないと思うが……。

「レン、カタリナを連れて走りな。こいつらはあたしが引き付けておく」
「へ? お、おう」

 本当なら仲間を置いてなど行きたくないが、カタリナの容態は一刻を争うといって過言ではないだろう。
 だが失神しているプリムを抱え、更に負傷したカタリナを一人で運ぶなど可能か? せめてプリムの意識があれば強引にやれないこともなさそうだが、残念ながらそう簡単には目を覚ましてくれそうにない。
 そんな俺の苦悩を読み取ったか、テレーゼは少しだけ困ったように表情を緩めると、傍らで杖を胸に抱くように握り締めたラウラに小声で囁く。

「あんたもプリムを抱えて一緒に行きな」
「へ……!? それじゃ姉さん一人に――!」
「残ってたらあいつらは真っ先にあんたを狙う。さっきの猫女みたいな素人じゃない、確実に殺しにくるよ」

 言葉を被せられたラウラは喘ぐように、それでも尚言葉を継ごうと思考を巡らせるが、結局何を言えばテレーゼの翻意を促せるのか見つけられずに悔しそうに項垂れた。

「こんなの……こんなのって、ないよ……せっかく帰ってこれたのに……!」
「そうだねぇ。でもあたしとしては拾った命を有効に使えたんだ。本望とは言わないけど、これ以上望むのは贅沢さね」

 一見すると冷たくさえ思わせる涼しげな美貌をくしゃくしゃに歪めて涙を流すラウラを優しい眼差しで一瞥すると、テレーゼは全身から怒気を立ち昇らせて兵士たちを睥睨する。
 しかしと言うかやはりと言うべきか、猛牛と化す一歩手前のテレーゼと対峙しても奴らには動揺も焦燥も、或いは驕りすらも感じられない。
 それだけに違和感もまた大きく膨らんでいく。
 この圧倒的に有利な状況を作っておいて、何故こいつらは一向に仕留めに掛からないのだろう。もしかしてこいつらの狙いは俺たちの命ではなく、別のところにあるとしたら……?
 ちょっとした思い付きだったが、ちらりと反対側の路地へ視線を向け、そこに見えたもので疑念は確信に変わった。

「テレーゼ、逃げるのは無理みたいだ」

 俺の言葉にハッと背後を振り向いた彼女の視界には、目の前の二倍以上の数の兵士たちが見えただろう。総勢で二十より少ない程度、野生の獣や亜人が相手でも少々危険な数なのに完全武装で訓練も十分であろう人間を相手では最早絶望的と言わざるを得ない状況だ。
 愕然とするテレーゼとラウラはとりあえずおいておき、抱えていたプリムを大分ひび割れてしまった石畳の上に寝かせる。そして息も絶え絶えになっているカタリナの胸を覆う鎧を傷に障らぬようそっと外し、鎧下代わりに着込んだ厚手のブラウスの胸元を少しだけ肌蹴させた。
 胸の圧迫感が和らいだのか、苦しそうだった表情が若干だけど穏やかになった気がする。
 しかしブラウスのボタンを外して見えたそこは胸の至るところが青黒く鬱血し、あの砲撃の余波を最も間近で真正面から浴びてしまったカタリナの苦痛を目の当たりにした気分だ。

「ちゃんと防げていればこんな目に遭わなかったのに……ごめんな」

 時折吐き出す血で気道を塞がぬよう、顔を横に向けて額に浮いた脂汗をそっと拭う。
 どれだけ万全に構えていても、あれほどの威力を防ぎ切れたかなど分からない。どちらかと言えば部の悪い勝負だと思う。でもせめて防護膜(プロテクション)を掛けていたなら、多少は違ったのではなかったか。
 いつもならこんな弱音を吐いたらいつも無闇に前向きで、だけど何かピントがズレた励ましとか、叱咤を飛ばしてくるのだが、今はただ苦しそうに喘ぐだけ。それが味気無く、とても寂しい。

「ちょっと痛いかもしれないけど、頑張って耐えてくれよ――――治癒(ヒーリング)!」

 マナを編み、術式を構成して紡いだ金色の光の帯を青痣だらけになってしまったカタリナの胸元へ流し入れる。

「はっ……はひっ……はひっ……あぐっ、けほっ!」

 するとカタリナの呼吸に喘鳴が混じり、ピッチを上げて俄に顔色が赤みを帯びる。
 自然治癒力を活性化させるのだから血流も当然増える。そうなれば内部出血も当然増えてしまう。だからマナの量を細く絞り、全体に満遍なく行き渡るように調整した。
 上手くいくか、どころかこれが正しい処置なのかも実は分からない。でもこのまま放って何もしなければカタリナは確実に命を落とす、そんな予感がするのだ。

「気色の悪い連中だね、殺るんなら一思いにやりなってんだ」
「怖いこと言わないでよ〜! 私、まだ死にたくな〜いっ」

 俺とカタリナ、プリムを守るように位置を下げて立ちはだかるテレーゼの挑発めいた虚勢に、ラウラは切羽詰った悲鳴を上げている。
 しかしこれだけ悠長に治療を行っているのに、路地を塞いだ兵士たちはジリジリと囲みを少しずつ狭めるだけで一向に行動らしいものを起こさない。
 こいつらの目的は何だ……少なくとも連続殺人犯の捕縛じゃないことは確かだ。でなきゃ壁際で転がっているヤツをスルーする筈が――って!?

「うぉい!? あいつ逃げてんぞ!」

 さっきの砲撃の煽りを受けてどっかに転がっていったかとも思ったが、欠片どころか影も形もありゃしねぇ。
 つい唐突に上げた素っ頓狂な叫びを上げてしまったが、それまで沈黙を貫いていた兵士たちも息を飲んだり喉の奥で声を籠らせたりと、まるで全体で一つの生き物のようだった統制に俄な乱れが生じた。槍を突きつけた姿勢は変わらずともマスクから唯一露出した目が辺りを探るようにキョロキョロ動き、こちらへ注がれていた意識も周囲に散って息苦しい重圧感が少しだけ軽くなった気がした。
 その隙に逃げる、なんて出来る筈も無いのだが、あんな危険な奴を再び野放しにするとなると話は変わる。
 何処に行った? 身体の捌き方や戦い方は素人丸出しのくせして狙いは外さないし、攻撃は相変わらず当たらない。ついさっきも声を出すまで後ろに付かれたのを誰一人気付けなかった。やる事は物騒だし、口走る事は理解不能だし、行動原理もさっぱり分からんし、そんなヤツに今後も付き纏われるなどごめん被りたい。
 カタリナに翳した手は動かさずに首を巡らせていると、ふと、視界の片隅に白い光がチラリと見えた気がした。そこは建物と建物の隙間の狭い空間だが、奴がさっき蹲っていた建物とは逆側の筈……でも、そちらへ振り向いた瞬間にバスケットボール大の火炎球が見えてしまえば、どうしてそこに居るとか、どうやって移動したなどと考えるのは後回しにするしかない。
 反射的に障壁(シールド)の術式を構築しようとしたが、そのためにはカタリナの治療の手を一時止めなければならない。それは出来ない、となればやれる事は一つしかない。

「テレーゼ! ラウラ! 避けろッ!」

 警告に反応した二人だったが炎弾が射出される方が早かった。それを見付けるや慌てて術装器スペルノーツの操作を始めるラウラだが。

「ひぃ!? し、障壁(シールド)リリース! ……あれ? え? あれ!?」

 ただでさえ追い詰められた状況での行動だ。咄嗟に行った操作を誤ったらしく術式が発動せず、焦りが恐怖を更に煽りラウラは物言わぬ術装器(スペルノーツ)の晶核を詰問するように睨み付けている。
 それに対してテレーゼの行動は早く、そして思い切りも良かった。ポールアックスを足元へ手放したかと思いきや前へ踏み込み、自分へ突きつけられた槍の一本を引っ掴んだ。
 注意を他所へ向けていた兵士は虚を突かれ慌てて槍を引こうとするが、テレーゼの膂力はそれを上回り逆に手繰り寄せられてしまう。体勢を崩した兵士はつっかえるように前へ進まされてしまい、槍を手放してそれから逃れようとしたが既に伸ばさりたテレーゼの手によって正面から首をガッシリと鷲掴みされていた。
 目元だけが露出した兜とマスクながら、そこから覗く僅かな空間からも表情が引き攣ったのが見て取れる。
 だがテレーゼはそれを一顧だにせず、飛来する炎弾へ向けて兵士の身体を放り投げてしまった――はぁ!?

「が――」

 兵士の背中に着弾した炎弾は当然ながら四方八方を鮮やかに照らすほどに大きな爆発を起こし、鼓膜といわず脳まで揺さ振り骨まで響く凄まじい轟音は彼の苦悶すらも飲み込んだ。
 盾となった兵士は2メートルほど空中を吹き飛ばされた後、石畳の上に叩き付けられ更に三転四転。対面の建物の壁にぶつかり激しい衝突音を上げてようやく止まると、そのまま動かなくなってしまった。
 転がっている間に火は消えたようだが鎧の背中部分は大きく抉れて露出した皮膚までが焼け爛れ、所々の焦げた箇所からは煙が立ち昇っている。
 その有様を目の当たりにして生唾を飲み込んでしまうのと同時に、甲冑の化物が放った砲撃が炎を含んでいなかったことに安堵してまった。この状態でも十分手に負えないのに、それに加えて火傷まで負っていたらもう完全にお手上げだったろう。

「ぐぉっ!?」
「がぁぁぁぁぁぁッ!!」

 倒れた兵士の方へ気を取られていると、金属が何かにぶつかる激しい打撃音が耳に入った。
 そちらへ首を向けた目には三人の兵士が路地に倒れ伏し、苦しそうな呻き声を上げている。そのうち一人には槍と思しき長柄が太股に突き立てられていた。
 何事かと視界の中に収まる光景を確認すると、先程足元に手放していた筈のポールアックスを握り締め、兵士たちを薙ぎ払った姿勢のテレーゼの姿がある。そして彼女は動きを停滞させることなく足を踏み込み、身体を前へと押し出した。
 その向かう先はあの甲冑の化物。奴は炎弾の発射地点へ向けていた砲口を猛然と突進してくるテレーゼへと狙いを変え、迷うことなくその無慈悲な雷鳴を轟かせる。

増速(アクセラレイト)、リリース!」

 砲口から迸った凶悪な破壊エネルギーの砲弾は路地の石畳を派手に破壊し、拳大の岩石や細かな粉塵を辺り一面に噴き上げた。
 しかし肝心の標的であるテレーゼの無残な姿はそこに無く、搭乗者の心境を物語るように頭部の兜が右へ左へと細かな動作で忙しなく動く。そしてその頭部の位置が凄まじい破砕音と共にガク、と大きく傾ぐようにその位置を下げた。
 いつの間にか――いや、法術で一気に加速したテレーゼはあの砲撃を避けた勢いのまま甲冑の脇を抜け、後方まで駆け抜けていたのだ。勢いを殺さぬまま転身し、その速度と恐るべき膂力の全てを甲冑の裏膝へと叩き込んだ結果、奴は片足を膝から両断されて倒れていく。
 金属と硬質な岩がぶつかり、潰し合うけたたましい轟音を辺りに響いた。
 地に伏した甲冑は何が起こったのか把握できていないらしく、両腕を地に立てて重厚な身体を起こそうと足掻くが上手くいかない。
 その胴へ足を掛けて乗り上がったテレーゼは青い燐光を帯びたポールアックスを高々と振り上げ、一瞬の躊躇いも無く振り下ろす。その瞬間、ぶち模様の長い耳を飾る銀と緑玉のシンプルな耳飾が輝きを発し、甲冑の背面を叩き割って食い込んだ半月型の刃を基点に本日三発目の 重圧撃(グラヴィトン)の緑光が甲冑を包む。増加した自重に耐え切れなかった部分が圧懐して完全に沈黙した。


初稿 2013.06.14
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