第十話 紅蓮の記憶 2

 何かが起こっているのは確かだった。
 今夜はこの場で野営すればとりあえず凌げるだろうが、明日には戻ってあの場所を訪ねなければならない。
 情報が欲しい。そのためには誰かが見に行くしかない。
 では誰が、といえばまぁ俺しか居ないんだよな。
 戦闘力という点では女たちよりマシという程度でしかないが、羽竜族の身体的特徴から走破能力と持続力は馬に匹敵するし、背に誰も乗せなければ途中で何かに襲われても振り切る自信は十分ある。
 斥候役としてこれ以上ない適任ゆえ自ら挙手したのだが、既に薄暗くなり始めた山麓は何処に何が潜んでいるのか分からない。木陰や鬱蒼と茂った草叢から何かがこちらへ狙い定めているような悪寒が背筋をゾワりと撫でやがる。
 夕陽が傾き沈むにつれて辺りは見る間に暗くなっていくのだが、玉蜀黍畑の向こうの空は闇の中で更に鮮やかさを増すように見える。
 それほど大きくも裕福でもない、ごく一般的な農村だ。全ての家々が玄関先で篝火や術装器(スペルノーツ)の照明を焚いたところであれほど煌々とはならん筈だ。
 小一時間ほど走っただろうか。最初に目指した山道の入り口を見つけ、村へと続く道へと疾走する。
 村へ近付けば近付くほどに、そこで起こっているのがただの火災ではないと確信出来てしまう。
 まだ見える距離ではないが、火災の規模は相当なものだろう。おそらく村全体が燃えている。
 ではそれほどの火災が起きて、しかも未だ鎮火する気配もない事態とはどういう事か。考えられるのは――。

「ん? あれは」

 背の高い玉蜀黍畑に両側を挟まれた道の先に、何か動くものが見えた。
 それはこちらへ向かってきているようで走るほどに影は大きく、はっきりしていく。

「おーい……」

 あちらも俺の姿を捉えたようで、まだ遠いが大声で呼び掛けてきた。
 多分見えないだろうが、手に握ったグラスパイルを頭上で振り回して応えてみる。
 彼我の距離は加速度的に縮まっていき、ついには顔も表情も分かるくらいまで接近。先頭を走っていたのは見覚えのある武装した男で、その後ろに複数の人を連れていた。

「あんたは確か、昨日宿に居た」
「ああ、俺はベネット。この辺の村々を渡り歩いて活動している冒険者だ」

 ベネットと名乗った男は三十代半ば程だろうか。
 身の丈は首を上げねば顔を合わせられない程に高く、鍛えられた身体に金属板を随所に貼り付けた皮鎧を身に着けている。そしてグローブのような大きな手が握る槍も体格に見合うの如く長大で、それはまるで長剣に槍の柄を繋げたような冗談めいた業物だ。
 厳つい顔や筋肉が盛り上がった腕を覆う皮膚は日に焼けた上に幾つもの傷跡が刻まれ、その身が潜り抜けてきた修羅場を物語っている。
 立ち止まって彼に連れられている人々を見渡すと、かなりの人数がいるようだ。老若男女区別なく何れも着の身着のまま逃げ出した、といった格好で顔は不安と恐怖で張り詰めている。

「武藤だ。村で何があった?」
「野盗の襲撃だ。奴ら、ムーシアの監視を潜り抜けてきやがった」
「マジかよ……数は?」
「全部を見たわけじゃないからはっきりとは分からんが、三十は居たと思う。駐留兵と自警団に加えて宿屋に屯していた冒険者で応戦しているが、法術を使う奴が混ざっていてな……」

 苦々しげに語ったベネットは元来た道を睨みつける。
 その言葉に反応した村人たちから小さな悲鳴や啜り泣く声が漏れ始めた。
 俺としてもムーシア以南での出来事は記憶に新しい。
 どうする。村へ戻る事は諦めて、別の村か駅宿場を目指すか。
 若い娘ばかりが集った冒険者の集団などと聞けば野盗共が放っておく筈がない。逃げるなら今すぐにでも行動を開始するべきだ。

「ここから一番近い村か駅宿場へはどう行けばいい?」
「村を見捨てるのか!?」

 俺の言葉を聞いた村人の一人が声を荒げて詰め寄ってくる。
 もしかしなくても、彼らは俺たちに助けを求めてこの方向へ逃げて来たのだろう。気持ちは分からんではないが、俺たちにだって事情がある。

「無茶を言わんでくれ。俺たちは採集専門で戦闘は門外漢なんだ」

 村を襲う野盗の姿を目の当たりにすれば、あいつらがどうなるか分かったもんじゃない。
 最近は落ち着いてきたが、心身に深く刻み込まれた生き地獄の記憶はちょっとしたことで瞬く間に蘇ってしまう。

「それに野盗にしてみりゃ俺たちは正しくカモがネギ背負ってるよーなもんだ。そんなのが現れたらますます張り切っちまうぞ」

 そう告げると噛みついてきたおっさんはとりあえず黙ったが、納得したわけではないことは顰め面からひしひしと伝わってくる。

「それでも全くやれないって訳じゃないだろう?」
「出来んことはないが、村がまとめて吹き飛ぶぞ」

 俺の言にべネットは鼻白んだが、まともに戦えるトリーシャはまるで加減が出来ないのだ。一人一人打ち倒していくことも出来るだろうが、それはそれでリスクが大きい。
 それに不安で怯えているだろうあいつらから最大戦力のトリーシャを離すことはしたくない。
 と、思案を巡らせていたところ、何やら村人たちがざわめき始めた。

「どうした!?」
「お、追手が!」

 べネットの大声に返答した男の声は恐怖に震え、それを聞いた村人たちが我先にと駆け出していく。
 仲間が野営している地点は遠く、すぐに見つかる位置ではないが、ここを通して騒がれるのは非常に不味い……くそったれ!

「迎撃する、お前も来い!」
「お、おう!」

 怯えて半ば恐慌状態で逃げ惑う村人たちを掻き分け、列の最後尾へ駆ける。
 図体だけで見れば大柄だけど頭の位置は高くないのがトカゲの特徴、こう人混みの中では全然前を見通せない。折角の脚力を活かせないのはもどかしいが、ラッセル車宜しく人混みを押し分けていくべネットの背中に着いていく。

「うぉらァ!」

 人混みが切れ、ようやく身動きが取れると思った矢先、雷が落ちたようなべネットの怒号が空気を震わせた。
 そして立て続けて響いた金属が激しく打ち合う音。虚を突かれた相手は辛うじて一撃をやり過ごしたようだが、剛槍を受けた剣は大きく仰け反り体勢は泳ぐ。二度目に対応出来る余裕はなかった。

「ジム! 畜生!」
「ぬぅ……ッ!」

 野盗の顔面を巨大な穂先で貫いたべネットに、手斧を持った別の野盗が躍りかかる。
 それを迎え撃とうと剛槍を扱くが、頭蓋骨を貫通している穂先は引っ張るだけでは簡単に抜けそうに無い。
 反応は出来ていてもそれへの対処が間に合わず、彼の顔が苦く歪んだ。

「ていっ!」
「ぬぁ!?」

 咄嗟の思い付きで大男の陰からグラスパイルの先端を突き出すと、突然鼻先に現れたそれに驚いた男は勢いを殺がれてたたらを踏んだ。
 その間に死体を蹴り飛ばして槍を引き抜いたべネットは大きな隙を晒した手斧の男の喉元を穂先で貫く。

「く、くそ……!」

 残るは……一人。
 そいつは形勢の不利を悟ったか、背を向けて逃げようとするが、そうは問屋が卸さねえ。
 軽く跳び上がるように踏み込んで気合一閃――。

「せいや!」

 ――グラスパイルを思い切り凪ぎ払い、逃げる男の首筋を強打。短い悲鳴を上げたそいつは足を縺れされて倒れ込み、打たれた箇所を押さえて土の上を転がり呻く。
 うん、こんなもんで遠心力と撓りを目一杯利かせて殴られれば痛いわな。

「トニー! おい、しっかりしろ!」

 再び起き上がろうとする男の側頭部をフルスイングで打ち据えて動かなくすると、べネットの焦った声が聞こえた。
 そちらを見れば大男が土の上に横たわった細身の男を抱き起こしている。

「く……っ、ざまぁねぇな……」
「喋るな、傷に障る! ムトー、お前の仲間に治療法術を使える奴は居るか!?」

 トニーと呼ばれた男は、見るからに酷い有り様だ。全身に数えるのがバカらしくなるくらいの裂傷を刻まれ、身動ぎしようとする度にズタズタにされた鎧や中入れに血が滲む。
 きっと先程の三人に嬲りモノにされたに違いない。恐らく村人の恐怖心を煽ろうとしたのだろう、他に倒れている人が居ないのは不幸中の幸いか。

「残念だが居ない」

 トリーシャの術装器(スペルノーツ)にヒーリングという術式は登録されていたが、何故か使用不能になっている。理由は不明だ。
 俺の返答を聞いたべネットは「そうか」と呟き、彫りの深い厳つい顔を痛ましく歪める。

「俺が背に乗っけて後方へ運ぼう。薬なら幾らか準備があるから、止血と応急手当くらいなら出来る」
「頼――いや、それは村の連中に頼もう」
「は?」
「は?」

 俺と、深手を負って息も絶え絶えなトニーの間抜けた声が重なった。
 彼の困惑に揺れる目はこう言っている――何言ってんだおっさん、一分一秒でも早く止血しねーとヤバイんだって。そんなの見りゃ分かるだろう!? それとも何か? 俺ばかり酒場娘の食い付きが良いって妬みを今晴らそうってんじゃねぇよな?
 ……いや、まさかそんなボケをこんな時にかますはずねーよな。

「別に俺が一ヶ月掛けて口説いた女を掻っ攫ってくれた仕返しだとか、そういうことじゃないから勘違いするな?」
「思いっきり根に持ってんじゃねーか、ハゲ!」

 じーざす。
 まぁ、トニーさんは端正な顔立ちで泣きボクロがセクシーな、しかも三対一でも退かなかった熱い好青年だし、彼に言い寄られたらコロっと転ぶ娘さんは多いかもしんない。
 しかも怪我を省みず全力で突っ込む辺り、ノリも良いようだ。
 ちなみにべネットは髪を短く刈り込んでいて、かつ額が広いだけなのでハゲではない。断じてハゲではない。大事な事なので二回以下略。

「代わりにムトー、お前は俺に付いてきてくれ」
「は? 俺?」
「さっきの助太刀といい逃げる奴を仕留めた手際といい、良い判断だった」

 そう評されて悪い気はしない。
 しかしそれとべネットについていくのはまた別だ。こいつが何をしようとしているかは大体、想像がつく。

「だが、これで終わりではない。こいつらは先行隊だ。村に残った連中も頑張っちゃいるが、追手は必ず来る」
「ク……ッ」

 しかし俺が断るより先に、べネットは逃げ道を潰してくる。
 俺と彼が加わっただけで何が変わると言うのか。でも、奴等が追ってくる経路を潰すだけでも意義はある……か? 結果として敵が仲間の方へ行かなければ、危険を冒して夜の行軍などしなくともよい……それに今から戻ってどうこうするような余裕は無い……。
 頭の中で鬩ぎ合う思考の天秤は結局べネットの提案に傾き、激しい葛藤を抱きつつ無言のまま首肯して答えた。

「すまん、この借りは必ず返そう。おおい! こいつの手当てを頼む!」

 傷を負ったトニーを村人たちに預け、俺たちは村へ続く道をひた走る。

「おっさん、乗るか?」
「む……いや、止めておこう。厳しい戦いになるだろうから、体力は温存しておけ」
「お、おう。でも、俺よりもおっさんの体力を温存した方が良いと思うけどなぁ」
「そんなことはない。頼りにしている」
「買い被ってくれんなぁ……詐欺だとか話が違うなんて苦情は聞かねーからな」

 などと他愛のない会話を交わしながら駆けていると、視界に広がる赤が強く、鮮やかになっていく。
 朱い光――俺の身体を焼き尽くした光……でも、あの時の光とはなにか違う。
 いや、あの時の光が『違う』のか? あの光は、炎とは違う……?

「来たぞ!」

 下腹に響くべネットの太い声に内へ向いていた思考を引き戻され、空へ向いていた視線を正面へ戻す。
 こちらへ向かって来ているのは五人か、手に持った得物は様々だが弓も長物もないのは好都合だ。

「俺が一人ずつ仕留める。ムトーは残った奴を牽制してくれ」
「分かった……っても、どうやりゃいいか分かんねーけどな!」

 べネットの前へ出て一息に距離を詰め、踏み込みの勢いを乗せたまま腰を使って鋭く振り抜く――狙うは、脚!

「ぎぁ!?」

 あ、脛狙いが逸れて膝に当たってしもた。
 男は脛を守る防具はおろか、ズボンも半端で膝から下が剥き出しだ。手に伝わった感触から折れてはいないと思うが、辺りに響いた乾いた音からしてもかなり痛いのは間違いない。しばらくは走るのはもちろん、立つだけでも厳しいんじゃないだろうか。
 顔を苦痛に歪めながらもんどり打って倒れた男に躓いて後続の二名がつんのめる――チャンス!

「そりゃあ!」

 グラスパイルを握り直し、動きが止まった二人の顔面を続けざまに強打。三角形の尖った部分で打ち据えられた二人は声も無く崩折れて悶絶する。
 やべぇ、これ使いやすい。

「この、トカゲ野郎!」

 止まった三人の左右から抜けてやってくる二人は、手にした得物を振り上げて接近してくる。
 リーチはこちらの方に分があるけれど、二人を同時に相手は不味い。村の方から放たれる赤光を照り返して煌めく刃を受けては、いくら分厚い羽毛と皮膚があっても無傷というわけにはいかないだろう。
 踏み込みの勢いを失った今、そこに留まり佇むのは命取りだ。自慢の脚力を発揮し、大きく飛び退く。

「ふんッ!」
「ぬおっ!」

 俺を追ってこようとした男たちへ、走り込んだ勢いのまま前後を入れ換えたべネットが剛槍を大きく凪ぎ払う。
 咄嗟に足踏んで減速を図った男たちだったが一人は勢いを殺しきれず刃の軌道に取り残され、喉笛をザックリ絶ち斬られて血飛沫を上げた。
 振り抜かれた槍はすぐさま上方へ掲げられ、頸から血を噴出して呆然とする男の眉間へ無慈悲に降り下ろされる。喉を潰された男は断末魔の代わりに口腔から血の泡を吹き、額を断ち割った槍の勢いのまま弾かれて地に転がった。
 べネットは尚も止まらない。革鎧を内から押し上げる筋肉は更に盛り上がって躍動し、淀みなく槍を捌いて残る男へと襲い掛かる。
 フォローを入れる隙すらない。
 馬車が通れる程に広い道だが、大男が長槍を縦横無尽に振るうと味方が前に出るマージンすら失われてしまう。尤も、長くつるんで癖なんかが分かってくればその限りではないのだろうが。
 瞬く間に仲間を惨殺された男は怒りに燃え――るわけでなく、一目散に逃げ出した。動ける者は自分しか居らず敵わぬとみたか、或いは単に恐怖に駆られたか。
 しかし既に狙いを定めて動き出していた死神(ベネット)から逃れることは叶わない。背中から襲い掛かった衝撃と共に革の胸甲から生えた血塗れの刃を見下ろし、何が起こったか理解が及ばぬまま男は地に伏した。

「仲間を見捨てて逃げるかよ? 普通」

 喘ぐ口から一頻り血を吐き出しながらもがき、今はびくびく痙攣している瀕死の男を見下ろす。
 つい二月前の自分からしたら考えられない事だが、今となっては目の前で命が消えようとしている事に忌避感どころか同情も沸き起こらない。それどころか、その汚ならしい姿を見ていると胸の奥に重く昏い感情が渦巻いてくる。

「こいつらの仲間意識なんざこの程度ということだ」

 俺に打ち倒されて動けない三人の喉に刃を突き立てて命を刈り取るべネットも淡々としたものだ。
 食うに困ってやむを得ず野盗に身をやつした者も居ないわけではないだろうが、明確な敵意を持って襲い掛かってきた以上は情け容赦など必要ない。

「さて、もうそろそろ村に着く。敵の数も増えるぞ、気を抜くな」

 低く野太い声に首肯で応じてグラスパイルを握り直すと、何を思ったのかべネットは口角をニィと上げて厳つい顔に不敵な笑みを形作る。

「なに、引き処を間違わなければ死にはしない」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ。肩に力が入るのは仕方ないが、勘を鈍らせるな。お前は勘が良い、自分の勘を信じろ」
「お、おう」

 勘を信じろ、か。
 日本での生活ではまず言われない言葉だ。むしろ勘でやるな、マニュアルに無ければ上司に相談しろ、が通例だろう。俺が修行のために出向していた店も、独自の判断で行動することは原則的に禁止だったし。
 見るからに歴戦の勇士っぽい丈夫(ますらお)にそう言われると、少々むず痒く感じるな。
 駆け足を再開し、途中で遭遇した賊を手早く仕留めて更に走る。
 天を焦がさんばかりの紅蓮は足を踏み出す毎に迫り、羽毛を揺らす風には焦げた臭いが熱気と共に鼻粘膜の水分を奪っていく。
 そして今朝潜った木製の門を抜けると、そこにある光景に息を呑んだ。
 遠くに見える中央広場、それを囲むように建ち並んでいた建物は例外無く朱い炎を上げ、疎らに点在している家々も燃えている。
 そして道には何人もの人が倒れ伏し、その大半が既に事切れているように見える。この村に住んでいるらしい普段着のままの人もいれば、小汚い粗末な鎧と服を着た野盗も力を失って動かず、流れる血を大地に吸わせるがままに任せていた。

「酷ぇ……」

 ふらふらと歩いた先、道から少し外れた草地の上に倒れた二人に視線を落とす。
 子供だ。まだ十を越えたか越えないかくらいの、まだ幼い子供が重なり合うように倒れていた。
 覆い被さっている男の子の方が身体が大きく、下になっている女の子を庇っているように見える。もしやと思い、しゃがみ込んで倒れている女の子に手を伸ばすが、期待した反応は返ってこなかった。
 男の子の背に穿たれた幅が短く一際深い裂傷が幼い二人の命を奪ったに違いない。
 こんな小さな子供の命まで奪ってどうなるというのか……!

 ――……ッド……。

 頭の何処かでズクン、と軋むような痛みが生じた。
 途端にじわ、と涙腺から熱い液体が溢れ出て視界が滲んで歪む。
 軋みを上げた脳髄が、胸骨の中心が、腹の奥底が熱い。
 滲んだ視界に青色のノイズが混ざる。
 悲しい、寂しい、憤り、後悔――様々な感情が取りとめもなく沸き起こり、締め付けられた胸が苦しくて、吐き出したいのに吐き出せない。
 どうして死んだ……そんな言葉が青いノイズに混ざって頭の中を掻き毟る。

「ムトー、悼むのは事が終わってからだ。……ムトー? おい、聞いているのか?」

 ムトー? ムトーって……あ、武藤、俺だ。なんで気付かなかったんだ。
 いつの間にか零れていた涙を慌てて拭い、二人の遺体から強引に視線を外して天を仰ぎ昂った感情を抑え込む。

「わ、悪い」

 腰を上げてグラスパイルの握りを確かめ、震えて力の入らない手を解して握り直すとべネットに向き合った。
 突然沸き上がった感情の正体は分からないが、今はそれを考えている時じゃない。
 至る所で炎が踊り、形あるものが崩れ落ちる村の中を駆け抜ける。
 幸いというか、山へ抜ける門へ向かってくる賊の姿は見当たらない。
 もう粗方討伐されてしまったのではないか?
 そんな楽観とも願望ともつかない推測が頭を過ったちょうどその時――。

「ぬぉあああああ――――っ!」

 ――聞き覚えのある太い声が耳に飛び込み、反射的にそちらを振り向いて我が目を疑った。
 燃え盛る建物の陰から巨大な火炎の塊が噴き上げ、猛烈な勢いでこちらへと押し寄せてきたのだ。中央広場へと通じる大通りを進む俺たちの横合い、外れた扉から礼拝堂が覗く教会の建物の陰から突如現れたのは炎の大波。
 咄嗟に回避――と身体は動こうとしたが、上下左右満遍なく視界を埋め尽くした紅蓮の波濤から逃れる隙間は見当たらない。
 くそったれ、どうしたら……!?
 思考が行き詰まって立ち往生してしまう中、脚は渾身の力で後ろへと跳躍し、服が汚れるのも構わずそのまま土の上を転がる。
 混乱した頭ながらも必死で二転、三転と無様に転がる俺。それを追っていた灼熱の舌はギリギリ捉えることが出来ず、舐め上げるように熱波を残して消滅した。

「何だ、今のは……!?」

 ぜえぜえと激しく呼吸を繰り返し、炎が消えた虚空を睨む。
 難を逃れたは良いが、正体が分からんのでは対処のしようがない。
 熱波に炙られた羽毛が焦げてチリチリになったくらいで済んだが、避けられたのは運が良かっただけだ。次は無いと思う。

「法術だ、厄介な奴が残っていたな」

 同様に回避して退けているべネットは流石と言うか。素早く立ち上がって槍を構える姿に、いつまでも転がっている場合ではないと俺も慌てて立ち上がる。
 燃える建物から放たれる熱風が凄まじく、ヒリヒリと焼けつく空気が押し寄せてくる。ただでさえ全身を覆う羽毛が暑苦しいのに、基本的に汗を掻かないトカゲの身体は廃熱に喘いでいた。
 べネットと二人、得物を構えて炎の出所をじっと睨みつけてその向こうに居るだろう下手人の出方を窺う。
 どんな攻撃が来ても対処出来るよう肩も脚も筋を撓め、神経を尖らせて赤い闇の先へと意識を集中していたその時――。

「あれ? 変なのが居る」

 ――場違いに軽い調子の声が聞こえた。


初稿 2013.04.27
更新 2013.08.12

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