第三話 常識さんのライフはゼロ

 日差しは相変わらず暑いのに、村を吹き抜ける乾いた風はやけに寒々しい。
 トカゲは汗を掻かないらしく、体内に溜った熱を能動的に鎮めるには細かく呼吸を繰り返す事で調整するしかないようだ。全身の羽毛が汗に塗れてべったり張り付かないのは良いが、はっはっはっはっ……と顎を大きく開いて下を出す様はまるで自分が犬になったような気分になる。
 村のメインストリートらしい道をゆっくり歩いてきた俺とトリーシャを背に乗せた馬は、中央広場とでも呼ばれていそうな開けた空間を目前にしていた。
 なんというか、周囲で息を潜めている悪意が手ぐすね引いて待ち構えているのが肌で分かる。ここまでいくと予感なんて曖昧なもんじゃない、確信だ。

「今更だけどさぁ、引き返すって選択肢はどうなん?」
「それはどの時点でのことかしら?」

 心なしか狭まっていく視界のせいで正面から目を離せないため声だけで尋ねると、返ってきたのはやっぱりすんごく楽しそうな声だった。

「今から、てのがもう無理なのは俺だって分かってる。村に入る前だ」
「そうねぇ、あなたと出会ったあの荷馬車から積荷を回収してこちらへ戻ってくる彼らのお仲間と、街道でばったり遭遇する未来が待っていたでしょうね」

 ふぁっく、マジふぁっく。

「前門の虎、後門の狼ってこういう事を言うのかねぇ……」
「あら、上手い事を言うわね」

 感心してくれるトリーシャには悪いが、俺が考えた言葉じゃありません。
 でも彼女にとってそれは大した事ではなかったようで、「でも虎や狼と呼ぶにはお粗末に過ぎるわ。ちょっと知恵の回るデミオルクが精々よ」なんて呟いている。
 などと俺は戦々恐々、トリーシャは軽口を叩いていると、薄汚れた頭巾と外套で全身を隠した人が行く手を遮るように現れた。

「亜人風情と同じ扱いとは、言ってくれるじゃねぇか」

 口元まで覆った外套に阻まれてくぐもっているが、野太い中年男の声と分かる。しかもかなり怒っているようだ。
 そして音も無く背後に二名、前方も先程の奴に加えて二名が通路を塞ぐように現れ、これで進むも退くも出来なくなった。

「ふふっ、そうね。女と馬を捕らえるのに男五人掛かりだなんて、亜人に失礼だわ」
「小娘っ……一度ならず二度までも!」

 ええええええええっ、何を挑発しまくってんだこいつはああああああああ!?
 いきり立った前方の男は外套の中から鞘走りの音を立ててでかい刃物をこちらへ突きつけてきた。
 刃渡りおよそ六十センチほどだろうか、片刃で幅が広く刀身が反っているのが特徴的なそれは、男の心の内を表すかのように剣呑な輝きを放っている。
 刀剣に詳しいわけでもなく、調理器具以外の刃物に縁が薄い現代日本人な俺にとって、それは暴力性の象徴として最も分かりやすい形といえる。

「何そのなまくら。今日日、山中の野良亜人だってもっとマシな得物で狩しているわよ?」

 そしてそれを前に相変わらず不敵に、ふてぶてしさを失わないどころか更に煽るこの女はいったいなんなんだ?
 ……まぁ、言われてみれば男の持っている凶器の刀身は何だか曇り気味だし、もしかしたら手入れなんてしていないのかもしれない。
 でも、だからといってあからさまに溜息なんて吐かなくてもいいんじゃないスか!? 何? その「期待ハズレも良いところ」みたいな仕草?

「まったく、期待ハズレも甚だしい」

 言っちゃったよ!?
 顔の大部分を隠しているから分かり難いけど、持っている剣が震えてカタカタ音を立てている辺りから相当に怒っているのは間違いない。

「言わせておけば好き勝手に――」
「それとも、まともな装備は荷馬車の回収に向かった連中が根こそぎ持って行ってしまった、というところかしら?」

 しかしトリーシャがそう言うと、男の僅かに覗いた目が見開いたように思えた。
 そして次の瞬間、トリーシャは馬を頭越しに飛び降ると目にも留まらぬ速さで男に詰め寄り――一閃で斬り捨てた。
 そう、斬り捨てたのだ。
 いつの間にか彼女は片刃の直剣を手にし、崩折れる男を一顧だにせず左右に位置取って立ち尽くしている二人の首を一息に斬り飛ばす。
 目前で脇腹から胸部を切り裂かれた男が倒れ、首を失って鮮血を吹き上げる二つの人影。
 それらを呆然と眺める俺の横を一陣の疾風が駆け抜けていく。

「さて、と。商隊から奪った獲物の保管場所に案内して頂戴」

 背後から聞こえた軽やかな声に我を取り戻し振り向くと、トリーシャが尻餅をついた賊の一人に紅い燐光を纏わせた剣の切っ先を突きつけているところだった。
 ここからではフードに隠れて見えないが、賊へにっこりととても良い笑顔を向けているのが声色から窺える。
 その傍らには首を失った賊の死体が当然のように倒れていた。
 トリーシャの初動から僅か十数秒のあまりに呆気ない惨殺劇。何が起きた、などと暢気に思考する暇すらなかった。


 自分の価値観からとてつもなくかけ離れた非日常、非現実的な光景に俺は混乱の極みにあった。
 トリーシャのあまりに鮮やかな手際は勿論、こともなげに四つの命が消えた事、それを成した当人に毛ほども気にした様子が無い事は激しくショッキングだ。
 それより何より人の首がああも簡単に飛ぶのか、という目の前で起こった事実に身も心も震え上がった。
 骨を含んだ肉を調理した事のある者なら、骨の硬さというのをよく知っているだろう。魚の骨でも下手に包丁を当てれば刃を傷めるし、鳥獣の骨などはよっぽど特殊な理由が無ければ刃物で断ち切ろうと思わないくらいに硬い。
 なのにトリーシャは大して太くもない細身の剣を片腕一本で振り抜いただけで、いとも容易く三人の首を刎ねてみせたのだ。
 あまり詳しくは無いが、切腹の介錯役にはかなりの腕前を要求されると聞いた事がある。首を差し出して斬り易い状態を作ってそれなら、ついさっき目の前でトリーシャがしてみせた所業はどう説明を付けたら良いのだろう。
 馬の手綱を引きながら、前を歩くトリーシャをじっと見る。
 完全に戦意を喪った男に先導させる彼女の、峰に沿って刻まれた溝から不可思議な紅光を放つ刀身は欠けも曲がりもした様子はない。彼女の腕も多少鍛えられた感はあったが、それでも年相応の少女の細腕だったのは今朝方に見ているので間違いない。
 俺は実は、とんでもない危険人物と一緒に居るのではないだろうか。
 そんな疑念を一度抱いてしまうと、身が強張ってしまうのは仕方のないことではないだろうか。
 男に先導させた俺たちは中央広場から更に進み、煉瓦造りの大きな建物の前にやってきた。
 それに連なるように造りが丁寧な建物がいくつか建てられている事から、この辺りは村の商業区域のような所かもしれない。しかしその何れもが寂れ、もうどれくらい本来の用途で使われていないのかを窺わせた。

「お? 意外と早かったじゃないか」

 小型トラック程度なら易々と入れそうな木製の扉を男が叩くと、中から声が聞こえた。
 軋んだ音を立てて開く木扉の合間から顔を出したのは、何日洗っていないのか想像するのも嫌になりそうな小汚いおっさん。どういうわけか上半身は裸で、うっすらと汗ばんでいる。

「なるほど、お仲間をこちらへ向かわせている間もお楽しみだったワケ……」
「あん? おめぇも女かぁ」

 ぽつりと零れたトリーシャの呟きは冷たく、元々から縮み上がっていた肝を更に竦ませる。
 そしておっさんの格好と汗の理由も理解が及び、この中で行われているだろう陰惨な事実を否が応にも認識させられた。
 しかし冷え切った声色よりも澄んだ娘の声に気取られたおっさんは顔をだらしなく緩ませて「今日は良い日だ」なんて口走っている。あの見てるだけで臭ってきそうな頭の奥ではどんな想像が巡らされているのかは考えるまでもなさそうだ。
 これだけのやり取りで胸の内に沸き立った嫌悪感が眉根を歪ませる。が、それより先に目前で血の花が咲いた。
 何が起こった、などと今更言うまでもない。
 直剣の切っ先がここまで案内してきた男の後頭部越しにおっさんの眉間を貫き、そのまま上部へ斬り裂いたのだ。
 顔面を付き合わせた形で頭頂から血やら何やらを噴出し、垂れ流す男二人を蹴飛ばしてトリーシャは扉の中へ身を躍らせる。

「なっ、なんだてめぇ!?」
「こ、殺せ!」
「武器を! 武器を寄越せぇ!」
「ひっ! や、やめ――」
「うわああぁぁ――――」

 それから間を空けずに開いた扉から聞こえてくる男たちの絶叫を聞きながら、俺は馬と一緒にただ立っていた。
 男たちの悲鳴、そして走り回る足音も数十秒ほどで聞こえなくなり、辺りはしん、と不気味なくらいに静まり返る。

「終わったわ。中に入って」

 抑揚の無い声に呼び掛けられるまで、俺は次々目の当たりにする現実から逃避していたようだった。
 ビクッと身を震わせ、木扉の合間を少し大きく開くとすぐ側に倒れた男たちを避けて建物の中へそろそろと足を踏み入れる。
 そこは薄暗くも開けた空間だった。あちこちに太い木材で組まれた棚や荷台には、乾いた藁束や穀物が詰められた麻袋が幾つも積まれている。そしてそれらには少なくない量の赤い飛沫が付着しているのが見て取れた。
 俺たちを先導して歩くトリーシャは抜き身の直剣を手に、奥の方へと進んでいく。
 倉庫の奥で俺たちを待っていたのは想像した通り、いや、それ以上に悲惨なものだった。
 土の床に藁を敷いたやや広い空間に女が十人ほど、裸で寝転がせられていたのだ。その何れもが手を拘束され、口には猿轡を咬まされた上で凌辱を受けたのだろう。そこらには異様な生臭さが漂い、彼女たちの裸身には賊たちが浴びせた情欲の痕跡が生々しく残されている。
 ケモノっぽい耳や尻尾が生えていたり、耳が長かったりと俺の知っている人間とは幾らか違った特徴を持っているのが殆どで、年は十代から三十代ほどと若い。どれだけの男たちに弄ばれたのかは分からないが、一様に疲れきった様子で俺たちが近付いても反応が著しく鈍い。
 そして壁際には手足を拘束された男が数名、猿轡を咬まされてうー、うー、と唸っている。

「レン、あなたはこの人たちの服を探して持ってきて」
「お、おう」

 そこらに倒れている下半身を露出させた男の死体を避けながら倉庫の中を歩いて回る。
 藁を敷き詰めた辺りに破られた服の残骸のようなものは見当たらないし、他に投げ飛ばされたようなものも見えない。
 そして目に付いたのは見覚えのある幌を被った荷馬車だ。馬は別の場所に繋がれているのだろうが、今はとりあえず関係ない。
 もしかしたら脱がされた物はここに放り込まれているんじゃないか?
 御者台から乗り上がり、幌を捲って荷台に入るとすぐに見つけた。乱雑に丸めて放り込まれた色とりどりの衣服がたくさん、それらを両手に抱えて戻ろうとしたがふと立ち止まる。
 あんなにドロドロに汚されているのに、そのまま着せるのはマズくねーかな?
 世界で最も清潔感に煩いと評判の日本人である。こういった事は一度気になるとおざなりには出来ない性分なのだ。
 両手一杯に布を抱えるとなかなかの重量だ。溢れて落ちそうな服を大きな顎で抑えながら荷台から降りて戻ると、女たちを拘束していた綱はトリーシャの剣で全て取り払われていた。

「まぁ、こんなんでも何もしないよりはマシだろう」

 と、藁の上に服を下ろし、一緒に見付けて持ってきた布巾っぽい布を何枚か持って女たちの身体に付いた汚れを拭う。タオルではないし、水で濡らしたわけでもないからそれほどキレイにはならないが、やらんよりは幾らかマシだろう。
 際どい部分はさすがに自分で拭わせ、一通り清拭が終わった人から自分の服を着てもらう。

「気が利くわね」
「いや、まぁ……なんとなく、な。それよりあの人たちはなんであのままなんだ?」

 照れ隠し半分で相変わらず壁際で転がっている男たちへ視線を向ける。
 するとトリーシャはそこに汚物があるかのような冷たい目で彼らを見下ろし、小さく鼻で笑った。

「人攫いを助ける義理なんてこれっぽっちもないもの」
「……はい?」

 その言葉を何度か頭の中で反芻し、改めて男たちを見る。
 え? こいつら、誘拐犯なの? てことはここに居る娘さんたちって、こいつらに誘拐されてここに居るってコトか!?

「南を占拠している連中の事は話したわね?」
「おう、怪しいカルト団体だな」
「彼らの所に彼女たちを連れて行ったら、どうなると思う?」

 どうなる、と問われてついさっきの話を思い出す。
 人族至上主義とやらを掲げていて、俺がそこへ行くとヒャッハーな連中に火炎放射器で消毒されるって事だったな。
 それを踏まえてのそのそと緩慢な動きで身体を拭い、服を着る女たちを見遣る。さっきも気になったが犬や猫っぽい耳と尻尾を持った人、牛っぽくて角も生えた人、耳が長くて褐色肌の人、とバリエーションが様々だ。俺の知っている人間そのものは三人しかいない。つまり――。

「殆どが殺される……?」
「そういう事。真っ当な奴隷商なら人族以外をモセスケープへ売りに行くなんてまずしない」

 尤も、本当に真っ当な商人ならば彼らを相手に商売しようなんて思わないはずだけどね、と吐き棄てるように告げると、それまで何かを訴えるように唸っていた男たちは顔を真っ青にして大人しくなった。
 奴隷商という業種にも忌避感を覚えるのだが、そのうえ真っ当ってどういうこと!?

「そんな事よりも、さっさとここを引き払うわよ。戻ってきた奴らから追撃されないだけの距離まで逃げなきゃいけないからね」
「おお、ぐずぐずしてらんねぇな」

 調子を変えて明るく宣言したトリーシャに促され、俺たちは荷馬車に女たちと詰めるだけの水と食料を詰め込んだ。
 外の厩に繋がれていた馬二頭に荷台を引かせて倉庫の外へ出ると、トリーシャは徐に振り向いて剣を真っ直ぐに突き出す。

「なにしてんだ? さっさと行こうぜ」
「ちょっとした嫌がらせよ。すぐに終わるわ……パラス・アテナ」

 トリーシャが何かを呼ぶように呟くと、彼女が掲げている直剣の柄頭にぽぉ、と紅い光が灯った。

火炎渦(ブレイズストーム)詠唱開始――」

 二言目の呟きに呼応したのか、柄頭に填め込まれた紅玉の内部で白い光が細く蠢いた様子が遠目ながらにも見えた気がする。
 そして三言目、「放て」のやや強めの言葉がトリガーとなって今までよりも強い光が柄から刀身へ迸り、鋭い切っ先から赤く輝く球体が発射された。
 球体は開いたままの扉から倉庫の中へ飛び込み、ややあって弾けた球体から噴出した火炎が音も無く閉じた空間を埋め尽くす。

「…………」
「さ、行きましょ」

 直剣を外套に隠れた鞘へ収め、トリーシャは踵を返した。
 長年培ってきた俺の常識はこの二日で散々に打ちのめされたが、今ので完全に再起不能だ。自分が持つあらゆる情報を強引に組み合わせてどうにかこうにか納得できる当たりを探ろうとも、さっきのアレを自分に説明付けられない。
 思考が麻痺してしまっても、身体は引っ張られるようにトリーシャの後を追う。
 トリーシャは荷馬車の御者台に座り、俺はトリーシャの馬の手綱を引き、黙々と歩いた。
 背後で大きなものが崩れ落ちる轟音と振動が足元をに響こうと、あの中にはまだ生きている奴が居た事が頭の片隅に引っ掛かろうと、振り返ることなくただ歩いた。


 本当に、なんて所へやってきてしまったんだ。


初稿 2013.03.26
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